イスラエルとアゼルバイジャンとの関係が明らかにされたことにボルトン元国連大使は激怒しているようだが、米国では愛国者法に続いてNDAAが成立して言論は封殺されつつある
イスラエルの情報機関モサドがアゼルバイジャンを情報活動の拠点にしているとイギリスのタイムズ紙が報じたのは今年2月。最近ではフォーリン・ポリシー誌が両国の軍事的な結びつきを明らかにした。こうした関係をアメリカの外交当局が注目していることはウィキーリークスが公表した外交文書にも書かれている。イラン国内での暗殺工作はモサドがCIAを装って実行しているともフォーリン・ポリシー誌は伝えている。 こうしたイスラエルの工作が明らかになることに苛立っているひとりがジョン・ボルトン元国連大使。アゼルバイジャンとイスラエルとの関係を暴露することは許されないと息巻いている。イスラエルにとって都合の悪い情報は秘密にしておくべきだというわけだろう。 言うまでもなくボルトンは親イスラエル派の大物で、好戦的な言動で知られている。エール大学で法律を学んだようだが、憲法を無視する法律家集団「フェデラリスト・ソサエティー」とも近い。 この集団は1982年、エール大学、シカゴ大学、ハーバード大学といった有名大学の法学部に所属する「保守的な」学生や法律家によって創設され、潤沢な資金によって大きな影響力を持つようになっている。議会に宣戦布告の権限があるとする憲法などはアナクロニズムだと主張、プライバシー権などを制限、拡大してきた市民権を元に戻し、企業に対する政府の規制を緩和させることを目指してきた。1982年といえばロナルド・レーガン大統領の時代だが、この政権で司法長官を務めたエドウィン・ミースはソサエティのメンバーとして知られている。 1982年には戒厳令計画とも言われているCOGプロジェクトがスタートしている。緊急事態の際、政府機能を存続させるため、憲法を機能停止できるようにすることを目的としていた。その延長線上に愛国者法、そして2012年の国防権限法(NDAA)はある。 NDAAによって、テロリストだというラベルを貼られた人間は裁判所の逮捕令状なしに逮捕され、裁判や弁護士接見も認められず、際限なく勾留されることになった。アメリカ政府の政策を「平和的に抗議する」ことも許されず、支配層と敵対する勢力をインタビューしたジャーナリストもテロリストとして拘束される可能性がある。ボルトンのような考え方の人物がホワイトハウスで主導権を握ったならば、イスラエルにとって都合の悪い事実を伝えることは許されなくなる。 ロナルド・レーガン時代に始まったファシズム化計画はジョージ・W・ブッシュ政権で顕在化、バラク・オバマ政権もこの流れに乗っている。富の独占が進み、社会が崩壊しはじめている現在、支配システムを維持するためにはファシズム化を推進するしかない。 似たことが過去にもあった。1929年に株式相場が暴落、アメリカ経済の破綻が明らかになった後、ウォール街の大物たちはファシズムで乗り切ろうとしたのである。 ところがその思惑に反し、1932年の大統領選挙で勝利したのはニューディール政策を掲げるフランクリン・ルーズベルト。1933年からウォール街の大物たちがクーデターを企てたのは、大企業を規制しようとした反ファシストのルーズベルトを排除するためだった。クーデター派はファシズムを目指すと明言している。 このクーデター計画は海兵隊のスメドリー・バトラー退役少将が反対、議会証言で明らかにされ、失敗に終わる。バトラー少将はクーデター派に対し、カウンター・クーデターを宣言したともいう。 こうした証言は議会の記録を見ればわかるのだが、今でもこの事実を知る人は多くないだろう。大戦でドイツが降伏する直前にルーズベルトは急死、それを切っ掛けにしてクーデター派は復権し、戦後世界に大きな影響を及ぼしてきた。そのため、学者も記者もこうした過去に触れたくないのかもしれない。勿論、ジャパン・ロビーもクーデター派の一部だ。(詳しくは拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』を)