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カテゴリ:政治
文部科学省の調査では問題教師の数が昨年度は371名であり、減少しているそうですが、教育崩壊から感じられる体感とあまりにもかけ離れています。教育現場の不祥事は問題教師が特異な存在ではないことを表しているからです。
戦後教育は日教組の悪平等主義に冒されてきました。受験地獄に耐えられない子供を可哀想だとする風潮が高校全入時代、大学全入時代をもたらしました。資質のない子供に高等教育を受けさせたのが教育の荒廃をもたらしました。 受験教育で評価される資質は人間の能力の一部にしか過ぎません。人間の能力は多様性に富んでいるからです。料理に携わる人間は子供の内から味覚を磨き、感性を養わなければ、技術だけでは一流のシェフにはなれないからです。 共通一次試験になり入学試験がマルバツ式になりましたから、いわゆる秀才が評価されるようになりました。受験では暗記力、応用力が求められ、思考力、創造力が問われなくなりましたから、理系に進学する学生も減ってきました。 ノーベル賞を受賞した京大名誉教授の益川博士はマルバツ式の入学試験に反対しています。団塊の世代の国公立大学の入試は記述式でした。原理原則をマスターし、教科書の範囲内の知識さえあれば、教科書だけで京大に入れました。 理系の人間には参考書も問題集も必要としない試験を課すべきです。受験塾では身につかない思考力、創造力が問われるからです。出題者は大変でしょうが、世界のトップレベルの大学になるためには手間暇を惜しめないからです。 高校全入時代は子供の可能性を否定する方向に向かっています。かつては高校受験時に進路の大枠が決まりましたが、現在は大学卒業時にも進路を決められない学生がいるからです。「鉄は熱いうちに打て」ですから、遅すぎます。 学校を卒業すれば働くのが当たり前の社会が変容してきましたが、「働かない者は食うべからず」は現代でも真理です。ニートと呼ばれる人たちにはそれなりの事情があるのでしょうが、親が亡くなった後のことも考える必要があります。 日本の社会には病気や障害で働けない人以外を養う余裕がなくなりました。高齢者にも自己負担を求め時代ですから、大学卒業までのモラトリアム期間はなくすべきです。高度な高等教育は選ばれた人間だけに受けさすべきでしょう。 教育格差が叫ばれていますが、能力に応じた教育格差を広げ、収入に応じた教育格差は少なくすべきです。高度成長時代は公立高校から有名大学に進学するのが普通でしたし、国立大学は奨学金、アルバイトだけでも卒業出来ました。 健全な社会は健全な競争が保証されている社会です。旧ソ連は消滅しましたし、アメリカも金融危機に襲われています。競争のない社会も、過度な競争社会も長続きしません。個人の能力が発揮出来る社会を構築する必要があります。 教育現場に求められるのは健全な競争でしょう。教員も勤務評定を受けるべきですし、学校も評価の対象にされるべきです。学力テストの結果を反映させるべきです。教員交流などが動脈硬化を解きほぐすかも知れないからです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008/10/20 08:42:22 PM
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