言われたこともできないタイプと、言われたことしか出来ないタイプの人は私を含め、パッとしない人間だが、そんな私でも、スケジュールに追われて生きていたりなんかする。できるだけ、空白の時間を空けようと逃走、否、闘争しているつもりだが、考えてみれば、尼崎の列車事故の反省点である秒刻みのスケジュール、スケジュール帳が真っ黒になっていく快感に溺れていくというのに、仕事にせよ遊びにせよ、半分ぐらいは待ち合わせ時間に遅れ、定刻終業時間になっても、全く仕事が終わらず、実はエラク時間に曖昧に過ごしていることに気がつき、嘆きの「ああ」と呟く。
「ああ」の次に来る言葉が、「昨日もそう思った」である。
600年前に作られたという旧市庁舎に張り付いたプラハのからくり天文時計は、その金色とデザインから、古い町並みの中に未来からやってきた物体のようであった。 毎正時になるとカラクリの仕掛けが動き出す。2つある円盤の上には天使の像が置かれている。その両側にある窓が開き、プラネタリウムの脇にいる死神が鳴らす鐘の音とともに、キリストの12使徒が窓の中にゆっくりと現れては消えて行く。最後には時計の一番上に現れる鶏が鳴いて終わるといった按配である。プラネタリウムの向かって右には楽器を持った男が飲兵衛のエピキュリアンがおり、その隣に死神と仲よさそうにしているのが微笑ましい。またプラネタリウムの向かって左には、きんちゃく袋を持つのは守銭奴がおり、その隣に手鏡を持つナルシストと仲よさそうにしているのが微笑ましい。 死神がひもを引いて鐘が鳴ると、エピキュリアン(快楽人)、守銭奴、ナルシストは一斉に「嫌々」と首を横に振ります。しかし、その後、12人の聖人が次々に窓に現れて、天国へおいでおいでと招く。エピキュリアン(快楽人)、守銭奴、ナルシストでも救われる訳だ、あー、よかったよかったといいつつ、私はどれでもなかった、どうしよう、等とつまらぬことを思った。
ところで、 大阪市内北浜には、有形文化財である
生駒ビルジングがある。スクラッチタイルとテラコッタの外観のアールデコ調の建物は、駅を降りるたびに、こんなのが残っていかなあかんねんなあと思う。少し調べてみると、1930年に建てられ、第2次世界大戦の空襲でも周辺は全くの焼け野原となり、西側も南側も隣家まで焼失したが、当ビルは堅牢なコンクリート壁に守られて、運よく戦災を免れた。阪神淡路大震災の時も激しく揺れ、隣のビルの窓が半分以上破損する状況においても当ビルに被害がなかったのは、頑丈な基礎杭のおかげなのかも知れない。昔の建物の方が頑丈の場合もあるというのは、
何とも皮肉なものだ。
ところで、自宅は、落ち着けないシステムになっており、家事以外には、倉庫及び寝室及びビデオ見る及びパソコンいじるぐらいのことしかできないようになっているので、読書をするためだけに、車をぶっぱなし、勝手にカフェに行き、本を開く(と目が閉じる)。
日曜の夕方に少しだけ仕事をするため家に戻って、何気なくテレビをつけると長寿番組サザエさんが放映されている。サザエさんを見ると、月曜から仕事というクラーイ影が背後から重くのしかかってくるのでとても辛い番組だ。統計的に月曜日に自殺者が多いのも何となく共感する。あぁ、カリプソ、ケセラセラ・・・カックン・ルンバ・・・