どちらに住むか、どちらを買うか、両方買うか、両方やめとくか、苦渋の選択である。そして、好みのようなものがある。私のような東京から見た田舎者にとって、何が、他の場所と違うのかがよく分からないということと、コンセプトが何かかは知らないが、本当に話のネタというか、式場が近いということで寄ってみただけで、まあ、物件が良かったらまとめて買っておこうかと思った事の次第である。
かといいつつ、私のようなおのぼりさんも多く存在するだろう。何故かお洒落にアレンジされてしまっているフードコートから、息が詰まるわー、といって出てきたおばちゃんの呟きもそれとなく納得できる。流行っているから、流行っているということが理解できる。
私は、ほしい服や食べたいものがないので、百貨店や、ダイヤモンドシティとの差がよく分からないが、ずばり、もしかして、名前が違う、ということかもしれないと思った事の次第である。ブランド品と一緒で、人々は物語を求める。確かに、考えれば、私とて、「今、ロッポンギにできた東京ミッドタウンにおりますねん」という状態が、近所のスーパーで涼んでますねん、より他人に対しては聞こえがいいように思う。同じ値段でもパリのビトンのほうが、東京のビトンより人気があるのと同じように、わざわざ東京まできてまんねん、という優越感は1パーセントぐらいはあるように思う。(でも、もうハイヤットやリッツカールトンで結婚式でもない限り、もう行かないだろうなあ、と思う)
結局2つあわせて1時間ぐらいの見学をしたのだが、喧嘩両成敗である。それにしても、コールドストーンクリームに長蛇の列には驚愕であった。世の中には、2種類の人間がいる。長蛇の列に並ぶ奴、並ぶぐらいなら不味い方を選ぶ奴。そう考えたら、旧共産圏というのはすごかったな。不味いのに、長蛇の列に並んでた人々。 しかし、いつの間にか、テレビ局を3社も回ってしまってましたわ。
心なしか、セブニレブンもおされにされておる。ありがたやー。
宗教がなければ9.11テロやイラク戦争、十字軍、魔女狩り、インドの分割、ユダヤ人の虐殺、女性の割礼もなかっただろう。無神論や世俗主義何が悪いかと、開き直るつもりはないけれど、宗教がなかったら何と命が救われたことか。よく外国で宗教を問われるが、いつも、サイエンスと答えてきた。
心斎橋くんも宣伝してくれてた(と思う)チョコ屋であるが、並んでるのでパス。何せ、心斎橋君は、高校1年生のときに八月31日に、葉書を2枚もくれたのだ。「葉書なんか書いている場合ではない、宿題が、ちっとも終わってないと言うか、始めてもない!」と。夏休み前に宿題をすべて終えていた私とは大違いであり、さすがに、大手広告代理店の部長に将来なる男である。夏休み前に3日徹夜して宿題をすべて終えても、将来は、せいぜい離婚するか、飛行機に乗り遅れるか、掃除大臣に任命されるぐらいである。そういう事情もあって、それ以来、何度も途切れながら8月31日は小まめに手紙をシコシコ書く二人であった、というより、今、思いついたのだが、我々は無比の高校肩こりブラザーズで、よく考えたら按摩しあいっこ友達で始まったのかも知れないなどとも思ったのであった。
そんな往復書簡の結果、家庭を顧みず、祝日の夜中に会社でミーティングを続けている彼に捧げるのである。
地下の六本木駅から、まぶしい、東京ミッドタウンに出たときに、「人間のある箇所は、ある特殊な条件で6倍の大きさになる、その箇所とは?」という問題を思い出した。
最近、不思議なことなのであるが、やたらメキシコ関連に出会い、呼ばれ始めたような気がする。
もう人形はいいよ、穴水ね。淫靡だね。
答えは、明るいところから急に暗いところにでてきた瞳孔である。動向は6倍になる。
ちなみにオレのアレは7.3倍になるので、6倍とは違うのである。
ちなみに、ゼッケンを禁止したりシュプレヒコールも禁止するようなことをわざわざ書くような施設は、もう「だめ」だと思う。個人的にだけどね。これでガッカリだよ。シオドメと一緒だな。