ペラとは、フィリピンでお金を意味する。よって、ぼったくろうと、やってくる人々に対して、あるいは、ふざけ半分でよく使う言葉が「ワランペラ」である。つまり、お金がない、であり、いきなりタガログ語を話すと、結構受けるのである。そうやって、各国で30ぐらいバカみたいな言葉を覚えるということが、大袈裟にいうと、勝手に民間交流緩衝材となるわけである。
ペリーは、浦賀に来る前は、沖縄にいて、その前は、アジア各国から回ってきたのであるが、面白いエピソードがある。話し合いはどうやってしたのかということである。そこには、勿論、通訳があり、当時は、出島でオランダとしか交流がなかったのであるが、ここに、急遽抜擢された通訳が掘達之助という人物であった。当時は、通訳の第一人者森山栄之助は、出島でロシアとの交渉で忙しく、ましてや、ジョン万次郎は、スパイではないとしても、アメリカにシンパシーがありすぎるということで、堀が抜擢されたのであるが、彼もそう身分の高い者ではなく、ましてや、英語のネイティヴスピーカーに従事したことがなかった。しかし、彼も機転が利いた。
まずは、「I CAN SPEAK DUTCH」と叫んだのである。ペリー側も英語での交渉は難しいと考えていたので、中国人を雇っていた。ペルーも日本をいろいろ研究していたにも関わらず、中国語と日本語は方言くらいの違いとしか思っていなかったのであった。そのため、日本語が全く理解できない中国人宣教師の代わりに、オランダ語を話す上海人を出したのである。そうして、お互い、第三国語であるオランダ語での交渉となったのであった。(それがお互い交渉を有利に進められないようにする堀の手段であった。現実、ある程度は掘りも英語が話せたようであるが、英語力を誇示せず、知ったかぶりをしなかたのであった)
それに、ペリー側も、出席するのは、かなり偉い人を要求したのだが、機転を利かした彼は、この隣にいる方が副総督であるとウソをついたのであった。(実際は50番目ぐらいの位の人であった)まんまと騙されたペルー側は、船に招待し、交渉のテーブルにつくことに成功したのであった。
ところでペリーの侍への印象はスコブル良かったようである。日本人は洗練され、道理をわきまえており、優れた資質を持っている。事実、世界のどの地域よりも、ヨーロッパよりも日本人のように優雅さと威厳を持つ人に出会ったことがない、特に、身分の高い人の物腰の低さは見事である、とべた褒めである。
ツメの垢でも飲ませたいねえ・・・
ペルー・・・まだ南米に行ったこともなく、せいぜい、ペルー料理を食べにいったことしかないのだが、ここでは、日系元大統領フジモリのことを簡単に考えてみよう。勿論、この人が本当はどんな人か分からないが、少なくとも、貧困層やインディアンの識字率を上げ、1000パーセントのインフレを数パーセントに抑えた功績があり、少なくとも圧制者、金持ち層、軍部からは人気がなかったことは確かだ。何の証拠もでないまま、今は現大統領、現政府に死刑だの何だの厳しい状況に思われている。当時の日本大使館の占領事件も正しい活躍だったと思う。私は応援したい。
ペレ・・・いうまでもなくサッカーのカミサマである。神様と呼ばれるのは、その完璧なサッカープレイだけでなく、人格者でもあるからである。ペレが、一度、映画にでたことがある。Sスタローンの勝利への脱出である。中学校だった私は、見に行った。中学校の時、わざわざ映画館にも何度も行ったのであるが、何となく印象的だったのが、この勝利への脱出、ブルースブラザーズ、エンドレスラブ、未知との遭遇特別編である。何故エンドレスラブかというと、隣に、色気ムンムンの若いおねえさんが座り、何かとチューボーの私に話しかけ、可愛がられ、「ねえ、コーヒー買ってきてくれない?あなたの分もね」と言われ、お金を貰ったのだが、おねえさんの分だけ買ってきたので、おねえさんが、恐縮してしまったので良く覚えているのである。それに、ブルックシールズがデカっと思った。ブルースブラザーズは今でも最高級の映画だ。その後30回ぐらい見ている。
ペロー・・・ペローの童話は「シンデレラ(灰をかぶった少女)」「赤ずきん(もしかしたら、グリムで読んだのかも)」「眠れる森の美女」「青ひげ」など、子供のころからなんとなく、いつとはなしに読んではいたけれど、こういうものをちゃんと読むことはしないし、日本人によってリライトされたものを読んだのかもしれない。
それに、大人になってからは、せいぜい、童話の心理的解釈本ばかり読んでいる気がする。再び、じっくり読んでみるってことあるのかなあ。