プノンペンの町を歩いていていると、多くのバイクやオート3輪(トゥクトゥク)が、往年の友達のように、手を上げてくる。10分歩くと2,3度は、ニコニコしながら指1本をつきたてて手を挙げて、オレプノンペンに知り合いいないんですけど、と思いながらも、バイクどこいくって感じであった。指一本は1ドルという意味か?
市内ならおおよそ1ドルでバイクに乗れる。1ドル・・・そう、プノンペンは自国の通貨を信じていない。リエルも流通はしていて、市中で1ドルあたり4100リエルぐらいで交換できるのであるが、市中は、適当に1ドル4000リエルで流通しており、1ドル渡すと、1000リエルのお釣りがきたり、バイクに交渉して1ドルで乗って、降り際に4000リエルを渡したりする。よくよく見ていると、誰も彼もが、ドルとリエルを持っており、その気になれば、ドルだけでも旅行できる。
トゥクトゥクに声をかけられ、冗談で、「ウドン」というと、彼の目が輝いた輝きまくった。ウドンはここから40キロの距離である(彼によると55キロ)。乗客である。いや、上客である。往復80キロを、何度かの交渉で20ドルで行ってもらうことにする。面白い。バンコクで何十回、下手したら100回ぐらいトゥクトゥクに乗ったかもしれないが、せいぜい市内数キロ。それに、タクシーがメーターになってからはトゥクトゥクには乗っていない。タクシーのほうが安いから。一度、あまりに暇だったので、用事もないのに空港までトゥクトゥクで行ったよ、という友達に、おまえ、バカだな、といった18年前も昨日のことのようである。
ウドンは、メコン川の支流、プノンペンにも流れているトレンサップ川に沿った平地にあるが、1時間ほど走ると、そこに、遠く山が見え始める。その山に寺院がそびえているのが、やがて、分かってくる。しかし、単なる田舎であるウドンは、首都プノンペンの前の首都であったところである。17世紀から19世紀のことであった。しかし、その遺産遺跡は、例によってクメールルージュにめちゃんこに壊されてしまった。
そして、そこには、日本人町があったという。川沿いにあるという点、現在の首都からの距離、まるでアユタヤと同じ感じである。それえにしても、この地で食されていたメンが日本に伝わり、この町の名前のウドンがウドンになったという。よくありえそうな適当な話である。ウドンとは、クメール語で高貴なという意味だそうである。
そんな説明はさておき、山の上へと歩いていく。麓から、花や線香を売る子供たちに付きまとわれ、最後まで着いてきたのは、6歳以下の男の子女の子で、うちわで私を扇いでくれるのである。勿論、非力な子供と力とコントロールでは私には風は来ないのだが、無下に追い払うことはできないほど、痛々しい。どこを歩いていても、どこを歩いていても、本当に、たまたま私は日本に生まれただけなんだな、偶然なんだなと思う。私が、カンボジアで生まれていれば、もう死んでいるかもしれないし、バイクタクシーの運転手をしているかもしれない。
感動は、寺院にない。感動は人間にあった。頂上に続く物乞いの列に。
何だろう、カンボジアが怖い、と思ったのは、特にカンボジア人は、おだやかだ。やさしい。インド人やベトナム人よりタイ人気質に近い。つまり、表に出てこない。
しかし、町を歩いていると、戦争状態だった内戦状態だったとはいえ、人を殺した人間と殺された人間たちがこうも身近に町中を普通に生活しているのだ。
必ず、親族の誰かに殺人者がいて、必ず、親族の誰かに殺された人がいる国なのだ。まだ。
それが、悲しく怖かった。
2008年カンボジア旅行
カンボジア到着
カンボジアに来た
キリングフィールド
小学校が収容所となった
プノンペンはナーガだらけ
カンボジア国立博物館
カンボジア王宮
ウドンへ
市場から空港へ
カンボジアタイgourmetの旅