何だか、外国行ったら、母語なんだけど、「彼はきれいなフランス語話します」とか「彼女はきれいな英語を話します」と聞いたことは何度かあるけど、日本語を母語とする日本人で、「キレイな日本語話すよ、あいつは」っていうフレーズを聞いたことはないし、あいつきれいな日本語話す奴だなあ、ということを感じることもない。欧米が他民族が集まる国だから階級社会だからか、日本語が流動的すぎるのか、ムチャクチャなのか、そのあたりは分からないが、こだわるという意味も、やばいという意味も、意味が変わりつつある。もう、日本人でも宇宙人みたいなものなんだものなあ。
日本語に関する本は、妹が日本語を勉強するなんてまた嘘八百ポンチ言ってたので、20冊ぐらい無料進呈したまま、ちっとも、読んだ気配もなさそうである。ってなことを今思い出した。
私は、別に、特別に疲れているってわけではないとは思いながらも、5日連続電気つけっぱなしで寝てて朝方に気がついたということは、ちょい疲れているのか、と関係ないことを思いながら、そういえば、稲妻は、「いなづま」と書き、地面は「じめん」なのか、小学生の頃から不思議に思っていたが、ちょい調べてみると、指導要綱で、単体では意味を成さないもの、稲と妻、地と面だけではなんのことか分からない場合は、そうするという歯切れの悪いことを書かれていた。そうしても、例外が多すぎるような気もするし、意味をなすかなさないかは、よく分からないのである。
小学生の頃といえば、4年の頃に習った、ローマ字、あれは今もあるんだろうなあ。何故、ああいうのがあるのか、よく分からないのだが、前島密とか、新井白石とか福沢諭吉とかが、日本語の書き文字をローマ字にせいや、せめて漢字制限せいや、と知識人がこぞって提唱してきた名残なんだろうか。
このローマ字、考えれば、なかなか実用性のない、というか、後の英語教育には弊害になっちまうような感じになるというか、まあ、それはどうでもいいんだけど、まあ、ローマ字入力には役立っているけど。
BOMBAY CAMBODIA PHNOMPENH NIPPOMBASHI・・・BやPの前の{ん}はMである。Hは、黙字。
小学校4年2組では、私は、クラスで一番モテる女の子の隣に座っていた。ローマ字で三宮駅までの駅を書きなさいといわれ、彼女は、駅の順番を私に聞き、黒板に書くと、生徒たちが、駅の順番ちゃうやんけ、といった。彼女はムキになって、うるさい!といったものの、後から私に怒ることもなく、モジモジしていただけであった。もしかして、俺に気があるんではないかと思った次第であった。あ、この頃から妄想系か?
そういえば、富国強兵の名残よろしく、未だに、国語だものなあ。授業は、日本語、じゃねえか?