その夜、バンコクは、ジュライホテルで、シンハビールを飲み、1瓶でほろ酔いである。ラジカセからは、シューベルトが流れる。アユタヤから75キロ+バンコク市内のα。
思えば、10時間前、真剣に怒っていた。「この野郎!早く進め!この軟弱な足と、ボロ自転車め!ボロ負けやないかあ!」と。
アユタヤまでの自転車キコキコを終え、遂にバンコク首都への入城となる日が来たというのに。
6時半にアユタヤを出てから3時間。休みもしないのに、向かい風のせいで15キロしか進んでいない。歩いても10キロ近くは進むというのに、これでは、自転車ででも歩く1.5倍のスピードしか出ていないということだ。しかし、毎日、ペダルが重く、進まず、自転車でノー天気にタイを縦断縦断ランランランという当初の目的はどこかに行き、修行というかヤケクソでマイナス思考で毎日走っているだけである。さすがに1週間走っていると、随分、体力というか慣れは確実にやってきて、筋肉痛などの肉体的なことは問題なくなってきている。ただ、何やってんだ、俺、という意識と、ただペダルをこいでいる中で、あと何キロかということと、情けなくも過去の楽しかった思い出だけが頭の中を駆け巡る。いや、楽しくなかった思い出も、思い出になれば装飾され美しく思えた。
やがて、バンコクにはいるのは車両通行料のようなものがかかるのか、高速道路なのか、料金所が見え、料金所の前で立ち止まり、自転車はどうなんだと躊躇した。係員は、手で行け行けと笑いながら、チョット待てと、水をくれた。
出発から6時間、ドンムアン国際空港の前を通り過ぎる。交通量が増え出した。バスも増え、側道のない危険な状態の中、トロトロ進む。ここから先は、知った道だ。
風は止んだが、足が動かず、気がついた。メシ食うの忘れてた、と。
いや自転車の前カゴに乗せてあるラジカセから流れる選曲(ドアーズのクリスタルシップ)が悪いのかも知れない。
そのうち、やたら警官が多くなり、検問が多くなり、道路の両脇にタイとイギリスの国旗が交互になびいている。誰かイギリスからVIPが来るのか、しかし、やたら、検問されても、困るのだが。(後でサッチャーが来たことを知る)
空港から25キロが、やたら交通量が多く、バスが何度も間近を通り危険で、何度も自転車を、平坦な道だと言うのに押している。
北バスターミナルを越える辺りから道も複雑になり、歩道が出来ても人が多く、結局車道を歩き、ようやく、戦勝記念塔が見えた。「あ・・・・・・。みえた・・・・」そう思うのがやっとであった。
人とバイクと車で、見渡すと、自転車の人がいない。
田舎ばかりを巡ってきたので、都会の狂気と喧騒と坩堝にもまれて、17時20分、ジュライホテルに到着。
フロントまで、自転車に乗っていき、格好良くキキキーと止まってみたものの、フロントの人は、チラリと見ただけであった。
本日は、11時間の自転車の走りの中、休息4回、ジュース5本、水4リットル、パンク1回。汗にどんどん出すので、不衛生な水も飲んでいるのに、腹を壊すこともなかったな。
2時間ほどして、前の屋台で飯を食い、人の流れを、涼しい中、ぼーっと見て、噴水前で喧騒の中のゆとりを感じたのであった。
明日、朝早く起きる必要はもうなかった。