7時間も機内で寝た癖に、またもやお疲れモード気味であったが、いつもの定期便(ハシモト大阪府知事が廃止させようとしている成田伊丹便)に乗るのである。もう関空の没落はえらいこっちゃであり、廃止する前に、今、関空からアメリカ本土に行ける航空会社はサンフランシスコただ1便だけなんだぜ。終わってるじゃん。
ソレはさておき、1席の猶予もなく満席である。席はおばあちゃん、私、そして若い女の子という席順であった。
オレ寝ている。のに・・・
おばあちゃん「あなたどこに行ってきたの?」
オレ「はあ、ちょっとトルコまで」
おばあちゃん「どうでしたか?」
オレ「天気良かったので良かったです」
おばあちゃん「何日間?」
オレ「1週間ですね」(あ、余計な嘘付いてしまった)
おばあちゃん「へえ、そうなの、結構短いわね」
オレ「仕事がありますからね」(他の国に行ったことは怪しまれるから言うまい)
おばあちゃん「私はね10日間DCに行ってきたの」
オレ「そうなんですか」(あ、オレが乗れなかった便じゃん、もしかして乗れてタラ帰り一緒だったかも知れないジャン、あれ、なんでオレ横浜便?)
その後、元気はつらつおばあちゃんは、話し続けるが、オレは、ハア、ヘエ、ホウとか返事をしていると、おばあちゃんの言葉数も減り、ようやく収まり、私も安眠の境地に入って行ったのであった。
すると、おばあちゃんは、私を差し置いて、隣の若い女の子をターゲットに喋り始めた。
おばあちゃん「あなたはどこ行ってきたの?」
おねえちゃん「マイアミなんですよ、9ヶ月短期留学してました」
オレ(あ、両隣で喋り始めてチョト鬱陶しいなあ、オレも不寛容だなあ)
おばあちゃん「どこから帰ってきたの?」
おねえちゃん「同じDC経由で帰ってきました」
オレ(あ、オレが乗れなかった便じゃん、もしかして乗れてタラ帰り一緒だったかも知れないジャン、あれ、なんでオレ横浜便?)
おばあちゃん「マイアミってどんな大学なの」
おねえちゃん「マイアミ大学で、日本人も5人ぐらいいましたよ、私以外は長期でしたけど」
オレ(チラっと目を開けて隣の女の子をチラ見する。・・・よく日に焼けてるじゃん、あ、また横浜便だ。)
おばあちゃん「へえ~。日本はどちらの大学なの?」
おねえちゃん「同志社大学3回生で、経営学の勉強を専攻してます」
オレ(あ、同志社かいな、何か聞いたことあるな・・・某ハルジ氏とか、某心斎橋氏とか・・・)
おばあちゃん「いい体験なさったのね」
おねえちゃん「高校のときも1回短期留学して、これで2回目ですけど、もう長期で海外行くことはできないでしょうねえ。旅行でちょこっと行くぐらいかなあ」
オレ(そうそう、旅行でちょこっと行くぐらいだよ)
おばあちゃん「私も息子が2人いてね、いや、弁護士と医者なんですけど、2人ともボストンの大学にも留学させたのよ」
おねえちゃん「へーすごいですねえ・・」
オレ(自慢の息子よろしいなあ。うちのオカンやったら、息子は未だにフラフラして根無し草のベランメイなのよ、といいそうだわ。)
おばあちゃん「海外で体験させるのもいいかと思いましてね」
おねえちゃん「なかなかできないですものね。」
オレ(あれか、出来が悪くて、留学させた口か?医者は金が有ればなれるしな・・・まさか、アメリカの州でしか通じない弁護士じゃねえだろうな、はっ!スマン、意地悪にも悪態ついてしまった!)
おばあちゃん「それで、あれですね、いい人と会えて結婚できたらいいですね」
おねえちゃん「そうですね、銀行にでも就職して、いい人見つけられたらなあと思ってます」
オレ(カックン、なんじゃそりゃ。ああ、今時銀行員?留学して、ズバッとキャリアを積んでいく気概は、あ、ない訳ね・・・まあそんなもんか)
そこからまた長い話が始まるのであったが、だんだん私の解釈も疲れてきて、安眠の境地へと再び落ちて行ったのであった。
伊丹に着き、バスに乗り、そういえば、俺らの世代ぐらいか、バブルの時代に浮かれて、海外行くじゃ、留学するじゃ、そのままキャリアアップ目指すじゃ、うまくいかんかったらまた再就職すればいいかとか、多くの人間が考えていた時代は。冒険してもいい頃の景気の良さだったものなあ。
がんばろうや・・