クリーニング屋に行ったら、名前を呼ばれた。クリーニング屋のおばちゃんに名前覚えられてもた。
ブランチに行ったら、ウエイトレスの女性が、また来たのねみたいな顔をした。嫌そうではなかったけど、もうメニューの説明はいいですよね、という顔をしていた。(メニューの説明はなかった)
キトで、丘をみてると、意味なく、ゾロアスター教のことを思い出した。ゾロアスターといえば、ニーチェのツァラトゥストラのことだとか、沈黙の塔で鳥葬にするだとか、中国では顕教(漢字違うけど)とか、今や現存する信者は少ないが、インドにもパーシー(ペルシャという意味)とか呼ばれて、タタ財閥とか大金持ちがいたり、他に有名人といえばフレディマーキュリーがいたり、最高神アフラマズラーとアンラマンユ(高校ではアーリマンと習ったが)の神と悪魔の戦いとか、そういうのは知っているが、ユダヤ教に多大な影響を与えたんだなあ。
神話体系、復活、ハルマゲドン、最後の審判、天国と地獄、天使と悪魔などの考え方も、ゾロアスター教よりもたらされたもので、ユダヤ人がバビロン捕囚の状態になっていたとき、アケメネス朝ペルシャのキュロス初代王が新バビロニアを滅ぼしたためユダヤ人が開放され、アケメネス朝のゾロアスター教を大いに参考にしたのだろう。
そっから、ユダヤ教の改宗者キリストになって、悪魔の手先がこんな南米まで来ちゃったなんてねえ・・・
インカ帝国にも奴隷はいたが、奴隷は世界中、昔からいて、当然、イスラムが世界を圧巻していた頃はヨーロッパの白人奴隷もイスラムに連れて行かれたり、ロシア人も奴隷になった。日本人もなった。ちなみに、昔、マムルーク朝ってのを奴隷王朝って習ったけど、ちょっとニュアンスが違って、まあ、傭兵みたいなもんだったね。
キトの夜道をフラフラ歩いていたら、後ろからチューチュー言われて振り向くと娼婦だった。チューチューというかプスプスいうのは、フィリピンでもお馴染みだ。スペインでは聞いてないけど、どうやら中南米ではあるのかも知れない。プスプスといったが、母音はないPSSTってな感じかな。チューチューは、唇をすぼめて空気を吸いながら音を出し、プスプスは口をすぼめて、歯の間から息を出しながら音を出す。
そのあと、クムスタ?と彼女は言った。暇そうだった。クムスタはフィリピンのタガログ語だろ、と思ったが、それは、コモエスタのスペイン語が訛ったか、縮まった言葉ではないのか、と今更に、ふと気がついた。
お土産に、この前
「おおさかたまご」のたまらんを買ったらエレベーター内で子連れの母に笑われた。息子がおかあさん何笑っているのというと、紙袋
(たまちゃん)が面白くってだって。
最近は、多少、外国で食事を楽しむが、1980年代なんか、タイとかフィリピンとか何回も行っているのに、食い物を全然知らなくて、知ってても食べたことなくって(トムヤンクンとか)、日本でも、まだエスニック料理という浸透してなくて、今でもエスニック料理というのは、抵抗があって、エスニックじゃないのはファストフードだけだと思うんだけど。
2,3年前から、何だかもう死んじゃうのかなあ、と健康なのに思う。でもあと30年ぐらいは生きるのだなあ、と思う。ちっとも悲観的でないけど。加齢だから仕方ないと思うが、何か最後死ぬ瞬間、って痛くないなら、歯が全部折れても、耳が千切れても、鼻がもげても、もう使わないからいいよね、って感じもするなと思う。でも、昔、映画で何だったか忘れたけど、崖から落ちて、もう瀕死の状態でほっといても死ぬのに、はげたかが飛んできて、目をつつくのを見たら、こんな死に方いやだなあ、と思った。
もう死にますよ、最後の料理どうしますか、って聞かれたら、納豆タマゴかけご飯かもしれない。
老後には、自由な時間で自由に遊ぶ、なんて思っているけど、将来不安と健康不安で、そうは簡単にはいかないだろう。学生時代はインド滞在では1ヶ月3万円使わなかったけど、今じゃ、そんなことできないだろうな。
それに、ぼーっとしにくのは若いときだけで、老後、ぼーとしたら、ヤバイな。本質的だからこそ、美しい・・
そういえば、昔、インドで、インド人知人が遊びに来て手には鶉をもってきてた。うずらは小さくてかわいらしかったけど、すぐに調理されて、カレーの具になったんだけど、あととき、鳥の肉っておいしいんだね、と思った。子供時代からブロイラーのモモ肉とか手羽とか、苦手だったんだ。さっき、頭なでてた奴だよね、新鮮だね。筋が、まだピーンと張って弾けていた。不思議なことなんだけど、ブタでさえ、鶏関係も当たり前だけど、自分と同じ種類が目の前でトサツされても平気というか気にしてないんだよね。全くの他人事、すやすや眠るわ、遊んでいるわで。