それは、結構大掛かりな大げさな感じの神社である。僕は、それでいいのか悪いのかはよく分からない。
よく分からないが、金の菊章が戦艦大和みたいで、靖国神社みたいで、寵恩タバコみたいだ。
昭和天皇はタバコを吸っていたが、外でだけかも知れないが、箱を開けても1本しか吸わなくて、残りは置いていくとのことで、神戸ポートピアホテルに泊まった時も、置いていったという。そのタバコのフィルターには菊の紋章があり、そのことを聞いた。そうだ、神戸ポートピアホテルでバイトしていたんだった。
でもいえることは、最終地点が遠いっていうのはあまりよくない。理由は遠いからだ。
なんだ!閉まっているではないか!しまった!時間確認してくればよかった。
霧島天狗館
日本発祥と霧島山とのこと。
鳥居が見えてきた、鳥居の単語を教えてくれたのがオカンだ。広島の国道から宮島に向かって「ほら、鳥居が見えるでしょ」と小学生低学年の私に言い放ち、私は賢明に鳥を探していた。まあ、そういうものだ。鳥いなんか、いないやないか!僕はオカン向かって毒ついたんです。
それから数年もしないうちに鳥居が何たるか知ったのである。
ちなみに小学校低学年のときに、隣の組にいた短距離の早い女子に霧島さんという人がいて、あだ名がキリゴマだった。何故なのか知らないが、多分そういうことなのだろう。
小学校2年のときに、友達ウラッコに家に泊まりに行って、夜、オマエ誰が好きやねん、て聞いたら、彼は、まだ小学校2年生、あまり異性に興味なかったみたいね。えらく、唸ってたね、3,4回繰り返し執拗に聞いてみたら、そうだなあ、霧島さんかな、と苦し紛れに答えていた。しかし、私自身、彼女の顔姿が分からなかったのだが、何故かと聞くと、走るの速いと困った返事をした。
ほたるの学校もないし、そうめん流しもない。
さだめは、厳しいと思う。
これから空港戻るけど、見えない。
竜馬ちゃうやろ、イメージが。でも案外チャラオやったりして。それより神社の人、真剣。
なんか、広いと、面倒なんだよな。
さざれいし、時々見るな。でも、不思議と感動しないけど、ゲージツ的な感じはある。
ウキペディアより
欽明天皇の時代(6世紀)、慶胤(けいいん)なる僧侶に命じて高千穂峰と火常峰の間に社殿が造られたのが始まりとされる。実際の所は高千穂峰に対する山岳信仰から始まった神社であろう。
しかし、火山の麓にあるという立地のためたびたび炎上する。天暦年間には性空により瀬多尾越(現在の高千穂河原・古宮址)に遷されるが、ここもたびたび噴火の巻き添えで炎上する。文明16年(1484年)、島津忠昌の命により兼慶が再建したのが、現在の霧島神宮である。但し、建物はその後も幾度も炎上し、現在の社殿は正徳5年(1715年)、島津吉貴の奉納により再建した物である。
歴代島津氏の尊崇篤く、島津義久は、天正6年(1578年)耳川の戦いに臨む途中に参拝して鬮を引き、また九州北上にあたっても天正14年(1585年)6月に日向国惣先達職の面高善哉坊と重臣山田有信を、再び9月に吉田清存を、それぞれ遣わして鬮を引き侵攻方面を決めるなど、重要事の決定に際したびたび神慮を仰いでいる。
また、坂本龍馬が日本最初といわれる新婚旅行で霧島連峰を訪れたことで知られている。その頃すでに山頂には天津日高彦火瓊瓊杵尊が突き刺したという天の逆鉾があった。
明治期の神仏分離令が発令されるまでは西御在所霧島権現と称し、本地堂は十一面観音。別当寺に華林寺を有する。霧島山を中心とした修験僧による霧島六所権現信仰の中心的役割を果たしていた。
ということです。
木。
木を見よ。神杉、樹齢800年。
ああ、わりと、ポンチな彫刻やな。
ウッドペッカー。
人の動き
それにしても、これはカッコイイ建築物だ。
2014年の鹿児島
鹿児島行
維新ふるさと館
桜島、恐竜パーク
桜島、ロック埋没鳥居
霧島温泉
霧島神宮
軍場酒場
黒酢三昧
ヘルシン黒酢
鹿児島空港前