あまり大きな声では言えないのだが、小さな文字で書くと、オカンは今イギリスの妹夫婦の家に居る。緊急連絡先は私になっている。私はいつも留守番である、というのはウソである。学制どもが山に入るとうことになっても、緊急連絡先になったりして、セイガクから今からヤマ入ります、今下山しこれから自宅に帰ります、そんな連絡が入ってきていたのも、勿論、携帯電話のない、ほんの10数年前の話である。阪神淡路震災の頃だものなあ、携帯が普及しかけたのは、同時にインターネットも入り始めたりなんかした頃だ。そういえば、初めてインターネットしたのは、サイトに直接URL打ち込みで入れてアメリカの図書館とか大学とか研究機関にアクセスしてみたりして、それだけで、おお、まあまあ凄いな、と思った程である。
その後、自宅でもネットを引いてから(勿論ダイヤルアップ)、遂に旅行にもネットを活用。エストニアのタリン情報だ。個人の方が、実に3,4人だけが日本語のサイトをアップしていた。そういえば、その頃にちょとだけありがたい思いでもあって、KLMオランダ航空でアムス経由のヘルシンキに行ったのだが、そこでフィンエアの国内線に乗り継いだのだが、乗り継ぎ時間が4,50分しかなくって、そんなの乗り継げるかどうか分からないので、KLMのサイトかなんかで乗り継ぎ出来ますかとメールしたら、勤務先(をあて先にしていた)にKLMから電話がかかってきて、乗り継ぎできますよとの返事をわざわざもらった。
そういえば、昔は、携帯なかったから、会社にじゃんじゃん個人宛に電話かかってきてたよなあ。飲み屋からの支払い催促の電話から、今日飲みに行こうぜの友達からの電話から、久しぶりやナー実家で勤務先電話番号聞いたんや、オレ結婚するから式来てくれやーのような電話。勿論式のお誘いの電話も会社から電話だ。そんなわけで、多少数人分の名前は上司なども知っていて、○○証券の×クンは元気なん?△製薬の□クンは今何してるのだいと、暇になれば話しかけられたりした訳。一番多い電話は、勿論家庭からである。○○さん家から電話ありましたよ、という取次ぎなんか結構多かった。そういった時代は、今思い出したけど、今思い出した程度だから、まあ、そんなに懐かしいものでも、良かったなああという訳でもないけど、確かに隣に座っている社員でさえ、会社以外のネットワーク交友関係は、まったく不明になったねえ。まあ、たまたま、私、そういうのに、あまり興味ないからよかったよかった。タイガーマスクの終わりの曲みたいなものさ、
強ければ~それでいいんだ~
しまった、ユーチューブで1時間もタイガーマスクみちまったじゃねーかよー。
7月入って、特に何もしてないよ。まだ1時間しかたってないけど。それに、画像集めで毎年の7月1日、年が半分終わって、まあロクでもないね、どっちかというと、大したことないね、さすが、たいしたことない道まっしぐら。
あ、そうだ、妹からメールがあって、「おにいちゃんは7月3日(木)はイスタンブールにいますか?お母さんが乗り継ぎでイスタンブールの空港にいるから」
都合よくいるはずねえだろ。オレは出頭も主張も海外出張もない会社員なんだ。(1年以内にイスタンブール、ケマルアタチュルク空港には8回離発着してるけど、
全てトランジットだよ)