テーマ:社交ダンス(8695)
カテゴリ:旅行記
<松代象山地下壕>
海の日の3連休最終日、昨年時間切れで見学できなかった松代象山地下壕に行ってきました。 象山神社でメロンチョコさんたちと待ち合わせして参拝してから歩いて地下壕に向かいます。 朝から30度は軽く超えているだろうと思える暑さです。 途中、道に沿った用水路があって澄んだ水の流れに泳ぐメダカや鯉などが涼しげに見えました。 これから向かう地下壕はエヴァンゲリオンの地下都市のモデルになったとか。 ちょっとした防空壕とはワケが違う、地下シェルターなんでしょうか。 入口の説明を読むと舞鶴山、皆神山、象山に碁盤の目のように掘り抜かれた総延長約10キロと書いてあります。 見学できるところはそのうちの500mくらい。 入口に用意されていたヘルメットをかぶって、いざ入坑です! 入ってすぐに中の涼しさに感動します。 古い鉱山の坑道跡のようなそれほど天井の高くないトンネルが遠くまで続いていて、横穴に通じる道は鉄柵で塞がれているんですが、中を覗くとコウモリが飛んでるのが見えました。 奥に進むとさらに温度が下がって、後で聞いた話では15度くらいだったそうです。 運よく高校の先生たちがガイドさん付きで見学されていて、ちゃっかり説明を聞かせていただきこの地下壕のことをより深く知ることができたんです。 第二次世界大戦の末期に突貫工事で作られたこの地下壕は、軍部が本土決戦の最後の拠点として天皇を迎えるために作られた大本営でした。 ガイドさんの説明によると3つの大きな犠牲のもとに工事は進められたそうです。 一つは周辺住民の強制的な立ち退き、二つ目は駆り出された多くの朝鮮人労働者、そして3つ目はこの工事を完成させるためにと時間稼ぎをさせられ甚大な被害を被った沖縄戦。 聞いていて悲しい気持ちになりました。 松代大本営の建設がある程度目処がつくまで戦い続けろと沖縄の方々は命令されていたんですね。 済んでしまったことですから今更なんですが、このためにどれだけ多くの尊い命が失われたことでしょう。 大日本帝国に対してポツダム宣言が発せられたのは7月26日だったそうです。 この時すぐに受諾していれば広島長崎の甚大な被害はなかったわけですが松代大本営の建設はこの時まだ進行中で、8月15日の終戦の段階で工事中止となった時75%完成だったとのこと。 つまり大本営として使われることはなかったんです。 さらに耳を疑ったのは3種の神器を収める賢所というのを天皇の御座所とは別に作れとか、純粋な日本人の手で掘れとかいう無理難題をふっかけられるんです。宮内省の指導とかいうことで。 寒い中12時間交代で働かされた人々の苦労はなんだったんでしょう。 純粋な日本人ということで少年たちが動員されたそうです。 地下壕を出た後、近くの資料館で掘削に使われたドリルのようなものを見せてもらったんです。 実際に持つとすごく重いんですよ。 この辺りが選ばれた理由の一つに岩盤が固いというのがあったそうですが、硬いということは掘るのも大変ということですもんね。 玢岩(ひんがん)、凝灰岩、黒色頁岩、チャート、砂岩など岩石標本が展示されていました。 昭和19年11月11日から翌20年8月15日の終戦の日までの9ヶ月間。 現在は掘ったドリルの跡や岩石を運び出したトロッコの枕木が見えるようになっていますが、当時は純和風の部屋がこの穴の中に並んでいて終戦後それを撤去するため、そして極秘で進められたこの事業が外部に漏れないためにまた同じ朝鮮労働者が使われたというお話でした。 関係資料も処分されて残っていないとのこと。 現在は一部を松代地震観測所として利用しているそうです。 ガイドさんにお礼を言うと、こんな風におっしゃってました。 『何も説明がないと、中に入っても涼しいねー、暗いねーで終わっちゃうんですよね。少しでも歴史を知ってもらえてよかった。』 軽い気持ちで入った地下壕でしたが貴重な体験になりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018/07/19 12:00:50 PM
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