シュタイナーの『社会の未来』
シュタイナーのプロフィール●ルドルフ・シュタイナーは1861年生まれのドイツの思想家である。人智学の名で知られており、教育、農業、建築、医学、宗教など多岐にわたる分野で自らの考えを著作物にしてきた。教育分野では、世界各地にシュタイナー学校も設立されている。福祉関係や芸術関係の人の多くがシュタイナーの本を読んでいるようである。●シュタイナーの本については、私は『社会の未来』、『シュタイナー経済学講座』(この本は途中までしか読んでいない)と『エンデの遺言』(NHK出版)でのシュタイナーの紹介を読んだ程度の知識しか持ち合わせていない。●シュタイナーについて論ずることは「群盲、象を撫でる」ようなことになりかねないので、『社会の未来』(シュタイナー選集第9巻)を読んだ限りでの、私の考えとの類似点と相違点を書いてみた。社会有機体三分節化論「…公的生命としての社会有機体が、公的精神生活(特に教育制度における)の自主的な精神生活、政治=国家=法律関係の自主管理および経済生活の完全に自主的な管理に分節化されざるをえないということがわかります」「民主的な管理を行うには何らかの議会が必要になります。けれどもそのような民主的議会が精神生活という、教育活動をも含めた領域の事柄を決定することは決して許されないのです」「自主的な精神生活だけが、灰色の理論や世間知らずの学者的な見方から離れて、実生活の中に働きかけ、私たちに経済生活にも役立ちうるような認識を与えてくれるのです」「専門知識と専門手腕だけが経済生活のために良い成果をあげる条件なのです。したがって、経済生活は法治国家と精神生活から独立して、固有の地盤の上に立てられなければなりません」●シュタイナーの三分節化論は、ソ連や東欧の社会主義政権による経済のみならず、教育や思想統制を念頭においたものと考えられる。三分節化を強く主張する時代背景が強く作用していたと思える。●「精神の自由」に関連して、私の考える自由は「選択の自由」(堺屋太一)に他ならず、これには思想や宗教の自由、移動の自由も含まれる。●精神分野の独立性を唱える点はリバタリアニズムとの共通点があるように思うが、私の場合にも「選択の自由」を何にも増して重要な基本的人権であると考えており、教育、思想、宗教、芸術に国家が干渉すべきでは無いと考える点は共通しているように思える。国家の権限や法律による規制は小さければ小さいほど良い。●国家が経済にも直接干渉すべきでないという点も同様である。私の考える「配当」は、政府(世界政府から地方政府まで)が一括管理・運用する方法も考えられるが、個人に全て配分するようにして、その運用を個人や法人の自由にさせようという趣旨である。「…経済生活の中では、労働力そのものではなく、労動力が作り出す生産物だけが問題になるのです。そして、経済管理はこの生産物相互の価値を規制することだけに限定されねばなりません。労働は経済循環の圏外に置かれなければなりません。労働は法の分野の中に存在しなければなりません」●シュタイナーは人間を労働力商品として扱う経済に反対していると考えることができるが、私もこの考えには賛成である。人間を労働力商品(賃労働者化)としないために、私の考えたことは「稼ぎが無ければ生活できない」ようなお金の流れを逆転することである。しかし、人や社会への貢献度に応じた報酬は与えられて然るべきであると考える。生産手段「一般に生産手段は売却できる財としてではなく、法律によって決定される法的もしくは精神的な手続きによって、或る人物またはグループから、他の人物またはグループへ委ねられる財なのです」「ですから今日、不当にも経済生活の中で扱われている土地所有権、土地処分権、生産手段の処分権は精神分野との協力の下に、独立した法分野の中で扱われるべきなのです」●この記述の意味は良く理解できないのであるが、生産手段の社会的所有ではないようにも受け取れる。下記の専門家による指導のようなことによる「移譲」なのであろうか?●気にかかるのは、生産手段の定義である。モノは時に生産財になり、時に消費財になる。このような判断をどのようにするのであろうか?経済論専門家による市場制御「…今日の混沌とした市場の代わりに、別な制度が作られねばなりません。…連合の原則の働きの下で、実際に観察される需要に応じて商品を生産できるようにすることです。…需要を研究する専門家のいる制度が存在しなければならないのです」「…専門知識と技術能力のある人々がいかければならず、生産過程はそのような人々によって定められねばならない、と。そのような実際能力や専門知識のある人々が互いに結びつき、個人の自主性による生産を基礎にして経済生活を営まなければならないのです。--これが本当の連合の原理です」「…偶然性の代わりに、人間理性が市場に働きかけるようになるでしょう。その場合、価格はそこに機能する制度の中で取り決められたことの表現になります。こうして市場が作り替えられ、今日支配的である市場の偶然性の代わりに、理性が支配するようになるのです」●シュタイナーは経済の専門家達による適正な価格設定を考えているようだが、そうしたいという動機は分からないではない。しかし、世界中にある量も質も微妙に異なるあらゆる商やサービス品に、適切に価格を付けるといったことが、現実的に可能であろうか? 生産者だけでなく消費者からもクレームが出るのではなかろうか?●それと専門家による価格付けというのは、統制価格のようなものになり、市場民主主義の原理に反することになるのではなかろうか?●確かに「見えざる神の手」は時に、消費財の高騰を招いたりする問題を引き起こすので、全く問題が無い訳ではない。しかし、分業に基づく社会では市場は不可欠である。市場経済では受給調整機能によって、物財やサービスの生産量と価格調整が行われる。●問題は市場経済にあるのではなく、経済が利潤追求動機で動いていることにあるというのが私の考えである。●このため、人間的動機が働き易い「投資配当システム」を提案している訳である。この場合、価格は市場が決めることにはなるが、人や組織は利潤追求を動機として活動する訳ではないので、価格を幅で提示して消費者に価格決定を委ねるようなこともある。愛による経済の支配「…共通の利己主義からだけではなく、共通の愛から生じるものが、精神的観点から生産体制を支配できるのです」「…共通の消費生活のために世界的規模での生産体制を生じさせるに十分強力な精神活動を行うことによってなのです。そうすれば共通の精神が共通の消費生活に働きかけて、生産と消費の間の循環、仲介を正しく機能させるようになるでしょう」●経済活動は「愛」に基づいてなされるべきであるとの理念には賛成である。問題は、具体的にどうするかであるが、シュタイナーの考えは、選ばれた専門家達に指導させるとの考えのようである。●問題は「愛」を如何にシステムに体現させるかである。「減価するお金」の採用もひとつの方法である。減価するお金を手に入れた人は、減価を避けるという「利益」のために早々にお金を使おうとする。社会のためにお金を使おうとしている訳ではないが、結果として経済を活性化し、社会のためになっているのである。●私の場合は、「愛に満ちた精神の持ち主による指導」ではなく、「愛が働き易いようなシステム」で対応しようという考えである。●共産主義や宗教の目的は人々を幸福にすることであると考えられるが、多くはその反対になってしまった。金儲け主義の罪深い資本主義が幾多の罪作りを行いながらも、「民主主義」を広めているのは、システムがそうさせたと考えることができる。邪悪な精神が経済活動を支配したからではない。●配当システムは、「愛による投資」を発揮し易くなる。「儲けるための投資」であっても、結果的に社会の役にたつことになる。どちらも人や社会のためになる。●繰り返しになるが、私の方は「愛をもった人達を増やして経済を運営する」ではなく、「愛が発揮しやすい経済の仕組み」を考えようということである。老化する貨幣『社会問題の核心』には「…貨幣所有権が一定の時日を経過した後、何らかの手段で、改鋳や、新紙幣を発行し、旧貨幣の回収を図ることもできる」との記述があるようだが、『社会の未来』にはこの記述を発見できなかった。●シュタイナーの「老化するお金」という考えにも賛成である。私の考える未来社会では、Gバンクからの配当が世界中に配分され続けるので、そのままではインフレになる。インフレを防ぐには、配分された古いお金を日々回収する必要がある。このため、お金は日を追って減価していくことになる。●次回は、『エンデの遺言』に記載されたシルビオ・ゲゼルの減価する「自由貨幣」と彼の思想を紹介する予定である。