|
カテゴリ:2014年8月
8月の教室(2014年)でお渡しした資料です。
ドラッカー 時代を超える言葉 上田惇生著
「自らに刺激を与えるには、仕事を変えることが必要である。 この必要性は、人がますます長生きするようになり、ますます長く活動できるようになるにつれて大きくなる」
ドラッカーは、日常化して毎日が心地良くなったときにこそ、 違ったことを行うよう、自らを駆り立てよという。 しかし、たいていの人が、余裕で仕事をこなせるようになったことをよしとし、 自己満足に陥る。 その結果、ある日突然燃え尽きる。
しかも、気づかないうちに燃え尽きる。 たいていの場合、これは仕事に飽きただけのことである。 たいしたことでもないもののために、毎朝出かけなければならないことほど疲れを覚えることはない。 喜びは仕事とその成果の中になければならない。
活躍すべき年月は、実はまだ20年残っている。 いや50年かもしれない。 問題は、その20年、50年をどうしたいかである。 それを決めるのは自分自身である。
「自らの得るべき所を知るのは自らである。 高い要求を課すのも自らである。 飽きることを許さないよう予防策を講ずるのも自らである。 そして、仕事を心躍るものにするのも自らである」 (『非営利組織の経営』) ドラッカー学会会員 土田 晶子
ピーター・ドラッカー(1909.11~2005.11) 私の履歴書(2005.2~)より
基本は文筆家だと思っている。
・1930年代半ばのロンドン、突然の雨に見舞われ近くで雨宿りをすると、そこでは英国初の日本絵画展が開かれていた。 たちまち魅せられ、以来、日本画中毒だ。(1986 ドラッカーコレクション水墨画名作展)
・1959年、初の日本訪問で日本という国にも中毒になってしまった。 ビジョンや勇気といった資質を備えた経営者に出会い、日本に大きな潜在力があると確信した。 間もなく「日本は経済大国になる」という内容の論文も書いたが、どこからも出版してもらえずじまい。 高度成長時代に入る前で、だれも信じてくれなかった。 私はいち早く日本の可能性を見抜いた欧米人だと自負している。
・昔からずっと、コンサルタントとしての時間の半分は無報酬の公益サービスで、大学や病院、教会など非営利組織へ向けてきた。 マネジメントは企業の専売特許ではない。
・有名になるだけが人生を測る物差しではない。 これからもこのことを忘れないでいたい。 私には「引退」という言葉はない。
(えつぼ) (えつぼ) 笑壷ソサエティ フェイスブック (えつぼ) 笑壷ソサエティ <教室案内> (えつぼ)
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014年12月06日 20時03分18秒
|