三百人劇場と「全貌」シリーズ
巣鴨に三百人劇場という劇場があった。巣鴨駅を出て白山通りを南に下り、左に曲がったところにあった。劇団昴の劇場なのでメインは演劇の公演だったが、それ以外の時には映画の上映も行っていた。周辺は静かな住宅街といった風情なのだが、何しろ上映する作品がかなりマニアックであったため、映画上映時にはむさい男たちが行列を作ってしまい、街の雰囲気を台なしにしていた。 三百人劇場には国や監督で特集を組む「全貌」シリーズという名物企画があり、僕の記憶では「ソビエト映画の全貌PART2」が、初三百人劇場だと思い込んでいた、今回、この項を書くにあたり、資料をひっくり返して見ると、実はフェリーニの「オーケストラ・リハーサル」やタヴィアーニ兄弟の「父 パードレ・パドローネ」の方を先に見ていることが判明した。どちらも作品は覚えているのに劇場の印象がない。それくらい三百人劇場=「全貌」シリーズというイメージが強かったのだろう。 さらに驚いたことに、最初に見た「全貌」シリーズは「大島渚の全貌」で、1983年3月の「飼育」「天草四郎時貞」の2本立てが初「全貌」シリーズ。「ソビエト映画の全貌」を見たのは翌年である。1982年にニキータ・ミハルコフの「愛の奴隷」と「オブローモフの生涯より」を三百人劇場で見ており、どうやらそれを「全貌」シリーズと勘違いしていたようだ。また、もともと大島渚が苦手で、三國連太郎の演技を見たくて「飼育」を見に行ったという事情も、記憶違いの原因だろう。 どちらにせよ、三百人劇場に集まる観客は一種独特だった。まず、驚くほど、女性が少ない。「ソビエト映画の全貌」など、ロシア文学を学ぶ女子大生が混じっていても良さそうなのだが、なぜか岩波ホールになら必ずいそうな彼女たちのような存在は見かけなかった。また、ほとんどを占める男の観客は、若いんだか、おっさんなんだかわからない年齢不詳の人物が多かった。「ソビエト映画の全貌」を見た時のイメージが強いので、当時、ソビエト映画を見に来る人は、そういう人たちだったのかもしれない。 もっとも、三百人劇場の開館前の行列は、結構居心地が良かった。そこには岩波ホールの行列のような何とも言えない居心地の悪さはなかった。それはすなわち、他人から見れば僕も年齢不詳・正体不明の存在だったということなのだろう。オーケストラ・リハーサル [ ボールドウィン・バース ]父 パードレ・パドローネ [ オメロ・アントヌッティ ]