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カテゴリ:旅行、海、お散歩
食後、次に目指すは「身延山」 「身延山久遠寺三門」登録有形文化財 blogを書いてると、前回と標語が違ってるのを 確認できるのがいいですね。 前回は本堂界隈や奥の院しか巡ってなくて、後は周りに〇〇坊ばかりと思っていたが、 ここは日蓮宗 総本山。日蓮聖人のお墓もある。という事を知り、巡ります。 と、その前に滝があるようなので行ってみます。 もちろん、山梨日日新聞社が出版している「山梨の滝」で事前チェック済み。(笑) この本に、行き方が詳しく書いていて、駐車場の指示もあり、とても役立つ。 本によると、橋のわずか手前 左に登る工事用の荒れた林道に入る。林道歩きは約700m。 この指示がなければ、どう行っていいかわからなかった。 土日を除く平日は、砂防堰堤の工事のため、通行できなかったところだ。 (工事期間:~R3.3/15 8:00~17:00) 普段、土日は出かけないのに、今日に限って日曜。何てラッキー 呼ばれた?(笑) しばらく歩くと、「雨乞瀧龍神」の神様が祀られていました。 ここを通り過ぎ、平成11年(1999年)初版のこの本では、最後の堰堤はかなり古い。と 記載されているが、10年以上経った 砂防堰堤工事中の今は、もはや当てにならない。 というより、10年以上も工事用の荒れた林道なんですね。 左手の小沢はこれだろうか? 写真では見にくい?が、一応、ちょろちょろと水が流れてる。 ここから右手に少し入ると山陰から突然といった形で滝が現れる。らしい。 右手に川を渡れるが、関係者以外立入禁止の場所。しかも工事用車両やポンプ?やら何やらと 置いてあり、人はいないが可動している。 水の流れ的に滝があるとは思えない。ここは諦めて引き返す事に。 残念だが、工事が終わった後でないと、滝にはたどり着けなさそうだ。 諦めて、来る途中にあった日蓮聖人のお墓や御草庵跡などを見学。 まずは右手の道(滝方面への道)へ行く途中にあるトンネル 「洗心洞」 とても雰囲気のあるトンネルです。 この奥に日蓮上人が初めて説法をした石「高座石」のある「妙石坊」がある。 滝への帰り道、通ったのですが、なぜか行く気になれず、スルーしちゃいました。 「西谷檀林跡(修行道場一帯)」 弘治2年(1556年)日鏡上人は子弟を教育する為に、ここを教育機関としての檀林をおこされ、 明治期の新制度になるまで、約300年間 西谷檀林は身延山を中心とする人々の教育の 根本道場としての使命を果した。 現座は東谷に身延山短期大学学園となり、多くの学僧たちの教育施設となっています。 「身延山久遠寺常唱殿」登録有形文化財 屋根の檜皮葺がすごいです。 この辺り一帯が深閑としていて、清らかな空気が流れておりとても気持ちのいい場所。 霊山橋から手水舎と法界堂を。 緑深く、苔むす手水舎と常唱殿。 「法界堂」町指定文化財 石には、弘安4年(1281年)改築 當山最古ノ堂 昭和3年大改修 と刻まれています。 「身延山久遠寺御草庵跡」県指定史跡 鎌倉時代 文永十一年(1274)~弘安五年(1282) まで厳寒と戦い、飢餓に耐えながら日中夜 日蓮聖人が法華経要文の読誦と著述に励まれた聖地。身延山久遠寺発祥の地。 「身延山久遠寺祖廟塔」登録有形文化財 「墓をば身延山に立てさせ給へ。未来際までも心は身延山に住むべく候」 の日蓮聖人の遺言通り、墓を築かれた聖地。 ふかふかの苔むす場所では、リスかな? 森のエビフライがあちこちで見られ、 松ぼっくりのカスが方々に散らばっており、食べ散らかしていました。 可愛い~。 日蓮聖人身延御在世中に御隠棲なられた日円上人開基の「北之坊」 赤い彼岸花が目についたので、門から。 身延山久遠寺を堪能し、総門から三門に向かう参道にある 寛永3年創業 祈壽菓子司「甘養亭河喜」へ。 店内の調度品がめっちゃ古い。さすが老舗! 左写真、手前の冷蔵庫は木製。今も使用しているか聞いたら、使ってないと。 で、元祖みのぶまんじゅうと名物揚げまんじゅうを購入。 老舗だからか、めちゃ並んでました。(密) なぜか、一番最後だった。 揚げまんじゅうは家に帰って10秒程温めたら、揚げたてっぽくって美味しかった~。 身延山久遠寺、メインのご本堂や奥の院よりもめっちゃ良かったです。 ここは観光客の来訪者が少ない分、良い気が巡っているようです。 癒されました。 この後、帰路に向かいつつ 先に見つけた南部町の重要文化財へ向かいます。 つづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020年10月05日 18時45分50秒
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