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カテゴリ:海外「ア」行の著者
信じ切っていた友に裏切られ、人も世も神も呪う世捨て人となったサイラスの唯一の慰めは金だった。だがその金も盗まれて絶望の淵に沈んだ彼に再び生きることの希望を与えたのは、たまたま家に迷いこんできた幼児エピーの無心な姿だった。「大人のためのおとぎ話」として広く愛読されてきたエリオット(1819‐80)の名作。(「BOOK」データベースより)
■ジョージ・エリオット『サイラス・マーナー』(岩波文庫、土井治訳) ◎女性特有の繊細な文章 ジョージ・エリオットの作品では、『ミドルマーチ』(全4巻、講談社文芸文庫)を紹介させていただきたいと思っていました。ところが本書の入手はきわめて困難です。そこで比較的書店での入手が可能な、『サイラス・マーナー』(岩波文庫)をお薦めさせていただくことにしました。『サイラス・マーナー』は、『ミドルマーチ』同様にすばらしい作品です。ジョージ・エリオットは、女性の小説家です。名前だけでは男性作家と誤解されますが、文章の繊細さをみれば女性だと理解できます。 『サイラス・マーナー』の前半は、ジョージ・エリオット特有の、スローな展開となっています。気の短い読者は、おそらく途中で投げ出したくなるかもしれません。我慢していただきたい。ジョージ・エリオットの小説は前半に大きくためをつくって、跳び上がる感じなのです。 作品の主人公は、サイラス・マーナーといいます。ジョージ・エリオットの作品は、どれも単純なタイトルがついています。人名や町村の名前が、タイトルになっているケースが数多くあります。ところが作品は、タイトルに限定されたものにはなっていません。 ジョージ・エリオットの作品は点描というのか、ひとつの被写体をじっくりと描くのが特徴です。それからカメラを引いて、町全体に広げてみせます。だんだん当初の被写体は小さくなります。全体のなかに埋没しかねないほど、たよりなくなります。ジョージ・エリオットはときどき、「われわれは」「読者は」という文章をはさみこみます。筆者と読者が一体となって考えようとの意図からのものです。 ――読者も信ぜられるであろうが、この織工の手もとで、すくすくと立派に育ってゆくエピーを、誰にもまして強い、しかも表面には出しえない関心をもって見守っている人があった。(本文P248より) ――その人たちは、たぶん美しい着物も着ていないだろうし、「赤屋敷」の主人や奥方のように、たやすくわれわれの眼にはつかないかもしれない。(本文P253より) 主人公のサイラス・マーナーは、友人の裏切りにあい、恋人を奪われ窃盗の嫌疑までかけられます。15年前、彼は故郷を追われるように、ラヴィロウ村に流れ着いています。彼は石切場跡の粗末な家に住み、ひたすらリネンを織りつづけています。 神も親友も女性も故郷も、信じられません。サイラス・マーナーはだれひとり親しくなる者もないまま、織機と向かい合う日々を重ねます。40歳になった彼には、すでに老人特有の容貌があらわれています。唯一の楽しみは、仕事で得た黄金の硬貨を眺めることだけでした。 ◎点描からズームアップ ここまでがいわゆる点描の部分です。ストーリーは、次第にズームアップされます。ものがたりのなかに、地主のカス家があらわれます。 ――ラヴィロウ村で一番の長者は地主のカスであった。正面には立派な石の階段があり、うしろには、ほとんど教会とむかいあって高い厩舎(うまや)のある、大きな赤い家に住んでいた。彼はその村に何人かいる土地持ちの中の一人にすぎなかったが、彼だけは地主という尊称をたてまつられていた。(本文P41より) カス家には2人の息子がいます。長男はゴドフリー、次男はダンシーといいます。長男には明かされたくない過去があり、次男はその秘密を握っています。長男・ゴドフリーは、村一番の美人・ナンシーに恋をし結婚したいと熱望しています。 ナンシーには姉・ブリシラがいます。画面はカス家から、2人の姉妹が暮らすラメータ家へと切り替えられます。違和感はまったくありません。素人が撮るビデオカメラは、ほとんどの場合滑らかに流れません。1人ぽっちのサイラス・マーナー、カス家の男兄弟、ラメータ家の女兄弟。この時点までは、3者が融合することはありません。「われわれは」「読者は」いかに融合してゆくかを考えはじめることになります。 バラバラだったピースが、あるいは砂鉄が磁石に吸い寄せられるように、物語は結合へと向かいます。みごとな手さばきです。こんな小説は読んだことがありません。 ◎物語は結合へと向かう 3つの塊のかなたには、新たな脇役・ドリー(母親)とエアロン(幼い男児)が見え隠れしています。孤独なサイラス・マーナーを気に留めてくれる、心温かい親子です。 こんなサイラス・マーナーに、幸せは訪れるのでしょうか。ドリーが焼印を入れた手製の豚油菓子(ラード・ケイク)をサイラス・マーナーに差しいれてくれます。幼いエアロンがついてきます。カス家では、兄弟の醜悪な争いがつづいています。 サイラスが大切にしていた、黄金の蓄えが盗まれてしまいます。傷心のサイラスの前に、アヘン中毒の女の凍死体と、よちよち歩きの赤ん坊があらわれます。母親の死を知らぬ金髪の女児・エピーは、サイラスの家へはいりこんできます。女児の金髪は、消え失せた金貨がよみがえったかのように、錯覚させられるほど輝いていました。 これ以上ストーリーにはふれません。『ミドルマーチ』(全4巻)と『サイラス・マーナー』を読んで、私は小説を読む価値を再認識させられました。そして、日本現代文学の陳腐さを思いました。スケールがあまりにもちがいすぎるのです。とにかく読んでいただきたい。読んだら、伝えてもらいたい。すばらしい作品が埋もれている、と。 ジョージ・エリオットの他作品は、図書館で借りて読みました。参考までに書き出しておきます。『筑摩世界文学68』(「フロス河の水車場」「とばりの彼方」所収)、『ダニエル・デロンダ』(全3巻、松籟社)は、2巻までしかありませんでした。 ◎追記2015.03.05 内田能嗣『ジョージ・エリオットの前期の小説』(創元社)を読んでいて、新たな発見がありました。引用させていただきます。 ――金を盗られたサイラスが最初に顔を出すのはレインボウ酒場である。このレインボウということばはサイラスが、たとえ金を失っても、雨上りの虹のように。新しい希望を持つ可能性を暗示している。(内田能嗣『ジョージ・エリオットの前期の小説』創元社P169より) (山本藤光:2012.11.12初稿、2015.03.05改稿) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017年10月13日 14時03分40秒
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