日系の学生エミを追いかけて、東京で行われた学会に出席した花袋研究家のテイブ・マッコーリー。エミの祖父の店「ラブウェイ・鶉町店」で待ち伏せするうちに、曾祖父のウメキチを介護する画家のイズミと知り合う。彼女はウメキチの体験を絵にできるのか。近代日本の百年を凝縮した、ユーモア溢れる長編小説。(「BOOK」データベースより)
■中島京子『FUTON』(講談社文庫)
◎本歌取りの最高峰
中島京子のデビュ作『FUTON』(講談社文庫)を読んで、才気あふれる新鋭の登場を確信しました。その後、『イトウの恋』と『均ちゃんの失踪』(ともに講談社文庫)を読んで、中島京子の追っかけをはじめました。
中島京子が直木賞を受賞(『小さいおうち』文春文庫)したのを知ったとき、意外に思ったのは私だけではないと思います。中島作品には、大きな事件は起きません。小さな日常をたくみに積み上げて、独特のうねりを生む作風なのです。つまり従来の直木賞作家とは違って、読者にわくわく感を与えるものではありません。
それゆえ地味な作品かというと、そうではありません。新しいのです。人物造形が巧みですし、筆運びが軽妙です。しかも中島京子は「再現」の名人かもしれません。直木賞受賞作『小さいおうち』でもみせたように、古きよき時代をみごとに再現してみせる力量は並はずれています。
『FUTON』はタイトルどおり、田山花袋『蒲団』の再現を試みた作品です。文庫解説の斎藤美奈子がこの作品を、「本歌取り」と書いています。もともとは和歌などで用いられた言葉ですが、最近の小説界でも目立ちはじめました。古くは芥川龍之介の一連の作品や中島敦の作品などは「本歌取り」の代表格です。
最近では、水村美苗『続明暗』(新潮文庫)、奥泉光『「吾輩は猫である」殺人事件』(新潮文庫)などのほかに、小谷野敦が二葉亭四迷の「浮雲」に迫った『もてない男訳・浮雲』(河出書房新社)、森見登美彦『新釈・走れメロス』(祥伝社文庫)などが目立ちます。
これらの作品のなかで、私は中島京子『FUTON』を、本歌取り小説の最高峰と位置づけたいと思います。
◎蒲団に顔を寄せる場面
主人公のデイブは、アメリカの大学の日本語学科教授です。田山花袋の『蒲団』を翻訳しています。翻訳文は「蒲団の打ち直し」というタイトルで、原作と近い展開になっています。
『FUTON』では、田山花袋『蒲団』の視座を、夫である竹中時雄から妻の美穂(田山花袋『蒲団』の妻には、名前があったでしょうか。私の記憶ではいつも「細君」と表現されていました)に入れ替えられています。「蒲団の打ち直し」は、本文にはさみこまれるように、いくつもに分けて展開されます。
『FUTON』では有名な最後の場面など、思わず笑い転げてしまうほどのできばえでした。たとえば弟子の芳子の蒲団に、竹中時雄が顔を埋める場面は、こうなっています。
――木枯らしが去り、冬晴れの青い空に風もない朝。竹製の蒲団叩きを一寸の間地面に置いて、美穂はその天鵞絨(ビロード)の襟をつけた掛け蒲団に、そっと顔を寄せた。(『FUTON』P345より)
参考までに、田山花袋『蒲団』の場面を再現してみましょう。竹中時雄が押入れから、芳子が使っていた蒲団を引き出す場面です。
――大きな柳行李が三箇細引で送るばかりに絡げてあって、その向こうに、芳子が常に用いた蒲団――萌黄唐草の敷蒲団と、綿の厚く入った同じ模様の夜着とが重ねられてあった。時雄はそれを引き出した。女のなつかしい油の匂いと汗のにおいとが言いも知らず時雄の胸をときめかした。夜着の襟の天鵞絨(ビロード)の際立って汚れているのに顔を押付けて、心のゆくばかり懐かしい女の匂いを嗅いだ。(田山花袋『蒲団』新潮文庫P110より)
明治時代の、古きよき女性の象徴である「細君」。田山花袋の小説では、ハイカラな若き女性・芳子に恋する、くたびれた中年男性・竹中時雄にフォーカスがあたっています。中島京子は、「細君」と片づけられていた存在感の希薄な女性に、美穂という現代的な名前をあたえました。脇役を主役に抜擢し、新たな物語をつむぎだしたのです。
◎二重構造をもった「ふとん」ものがたり
『FUTON』の主人公・デイブは、日本人留学生・エミに恋をし同棲をはじめます。デイブは離婚しており、ティムという息子がいます。エミには日本に100歳になろうとしている曾祖父・ウメキチがいます。祖父はタツゾウといって、鶉町でサンドイッチ屋を経営しています。
ある日エミは、同じ日本人留学生・ミュージシャン志望のユウキという軽薄な男に誘われて、日本へと旅立ちます。デイブは学会を理由に、エミを追いかけて日本に向かいます。
――デイブは飛行機の上で、己の一年間について思いを巡らせていた。離婚、エミとのアフェア、花袋に関する論文のこと、ティムのこと。日本で出会った奇妙な女たちのこと。(本文P365より)
うだつのあがらない文学者・竹中時雄は、若いハイカラな弟子・芳子に惚れます。芳子は京都の田中という男と恋をします。これが田山花袋『蒲団』の構図です。
中島京子『FUTON』も、現代版にアレンジされて同じ構図をとっています。デイブはエミに惚れます。エミはユウキという男と連れ立って日本へ行ってしまいます。
つまり『FUTON』は、二重構造をもった「ふとん」ものがたりなのです。ただし中島京子は、さらにもうひとつのものがたりまで挿入しています。
100歳になろうとしている曾祖父・ウメキチの存在です。ウメキチは画家志望のイズミという女性に介護されています。ウメキチはイズミに、戦時中に知り合ったツタ子の話をします。うそなのかまことなのかは定かではありません。もうろくしているウメキチの心を、一人の女性が支配しているという構図は、さらに現実のものがたりに厚みを加えています。
さらに『FUTON』のおもしろいところは、永井荷風の『蒲団』をこきおろすこんな台詞にあらわれます。
――あの、変態の先生が、弟子の寝ていたフトンに顔を埋めて泣く話でしょう。(本文P367より)
『FUTON』は、一級品の小説です。先にもふれましたが、大きな事件は起きません。小さな日常の積み上げが、中島京子の魅力なのですから、じっくりとそれを堪能していただきたいと思います。
(山本藤光:2010.08.18初稿、2014.08.26改稿)