十七年前、霧の霊峰で少年たちが起こした聖なる事件が、今鮮やかに蘇る……。/再会は地獄への扉だった。/山本周五郎賞受賞作から三年余。沈黙を破って放つ最高傑作ミステリー。(単行本上巻の帯コピー)
連続殺人、放火、母の死……。無垢なる三つの魂に下された恐るべき審判は……。/人は救いを求めて罪を重ねる。/<救いなき現代>の生の復活を描く/圧倒的迫力の2385枚!(単行本下巻の帯コピー)
■天童荒太『永遠の仔』(全5巻、幻冬舎文庫)
◎虐げられて生きている
一度単行本で読んでいましたが、文庫は5分冊になっていることもあり、出勤の電車のなかで読み直しました。分厚い単行本が文庫化されると、もち運びに便利なので再読したくなります。この作品については、古い「読書ノート」から紹介してみたいと思います。
(引用はじめ)
出張先のホテルで、配達された「中國新聞」(2002年6月8日)を開きました。特集記事がありました。「天童荒太自身が語る『永遠の仔』について」というタイトルでした。読者からの手紙やメールが3000通を超えたとの報告のあとに、つぎのようなコメントがありました。
――人はみな幸せでありたいと思っているのに、なぜ人を虐げないと生きていけないのでしょう。僕の作品はそこから始まった。(新聞より)
――子どもばかりでなく虐げられる存在は普遍的にある。今社会に必要なのは、こうした存在を皆が認め、その立場に立って物を発想していくこと。心に傷を受け懸命に生きる人たちの思いを私は背負わなければならない。その上で作家として何ができるか、考えていきたいと思うのです。(新聞より)
天童荒太は表現こそちがえ、「人は人に虐げられて生きている」と強調しています。作品を生みだす原点は、そこにあるといいきっていいと思います。
物語は、17年前の過去と現在を交錯させてつづられています。主たる登場人物の久坂優希、長瀬笙一郎(モウル)、有沢梁平(ジラフ)の3人は、愛媛県にある漁師町の小児総合病棟の入院患者です。3人は退院祝いとして、四国の霊山に登ります。そこで事件に遭遇します。やがて3人はある秘密を共有して、離れ離れになります。そして、17年後の再会。
久坂優希は看護婦、長瀬笙一郎は弁護士、有沢梁平は刑事になっています。再会は必然ではなく、偶然の出会いでした。再会は久坂優希の弟・聡志の存在がきっかけになっています。優希の勤める病院の近所で、連続殺人がおきます。
3人の絆(秘密)とはなんだったのか。12歳で心の病にかかり、入院を余儀なくされた3人の過去とはなにか。そして現在に待ち受けている事件とは? 再読にもかかわらず、最初の感動がよみがえってきました。
「虐げられる」を意識しながら、ぜひお読みいただきたいと思います。緻密なディテールや世の中のゆがみに、読者は圧倒されます。何度読んでも、傑作でした。
(引用おわり)
◎サイコ・サスペンスでデビュー
天童荒太は現代日本を代表する、エンターテイメント作家です。宮部みゆきや東野圭吾とならぶ、最後まで読ませる筆力をもった作家だと思っています。ただし現状では、レパートリーが狭すぎます。家族、こども、哀れな人……。そのことはタイトルからも推察することができます。
天童荒太には歴史上の人物を、描いてもらいたいと思っています。天童荒太は、緻密で器用な作家です。デビュー作『白の家族』(野性時代新人文学賞1986年、文庫見当たらず)は、王出富須雄(オイデプスオ)の筆名で応募しています。発表時には本名の栗田教行と改められました。その後、映画界に身をおいた時期もあります。
ミステリーでのデビューは、『孤独の歌声』(日本推理サスペンス大賞優秀作1994年、新潮文庫)ということになります。この作品から、筆名を天童荒太としました。それにしても「王出富須雄(オイデプスオ)」というのは、大胆な名前です。「オイデプス王」はソポクレスの作品で、岩波文庫で入手可能です。
『孤独の歌声』は、サイコ・サスペンスのはんちゅうにはいる作品です。サイコ・サスペンスとは「異常殺人者、あるいは大量連続殺人犯の恐怖を描いたもので、サイコ・スリラー、異常心理小説、異常心理サスペンスともいわれる」(権田萬治・新保博久監修『日本ミステリー事典』新潮社より)ものです。
その後、天童荒太は『悼む人』(上下巻、文春文庫)で、直木賞を受賞することになります。私はそこにいたるまでの作品のなかで、『包帯クラブ』(ちくまブリマー新書)を高く評価しています。
「サイコ・サスペンス」についてふれておきます。ロバート・ブロックは1959年に、有名な異常殺人者エド・ゲインをモデルに『サイコ』(創元推理文庫、他に『切り裂きジャックはあなたの友』ハヤカワミステリー文庫などがあります)を執筆。これがヒッチコックによって映画化されました。トマス・ハリス『羊たちの沈黙』(新潮文庫)は、その最高傑作といわれています。日本では逢坂剛『さまよえる脳髄』(集英社文庫)や折原一『異人たちの館』(講談社文庫)がサイコ・サスペンスの代表作です。(『日本ミステリー事典』を参照しました)
◎『永遠の仔』(単行本)のカバー写真
初出『永遠の仔』(上下巻、幻冬舎)には、巻末に著者の簡単な謝辞が書かれています。今回文庫化にあたり天童荒太は、長い「文庫版あとがき・読者から寄せられた言葉への返事として」を挿入しています。真摯な天童荒太らしい文章で、作品にたいする並々ならぬ愛情を感じました。
『永遠の仔』を読んでいない方は、店頭で文庫版第五巻の「あとがき」を立ち読みしていただきたいと思います。これが天童荒太なのだ、と実感してもらえると思うからです。私のつたない文章の何百倍も説得力があります。
以前私は「『永遠の仔』(単行本)のカバー写真」なる文章を発信しています。以下の文章は、PHP研究所メルマガ「ブックチェイス」に連載していた「藤光伸(当時のペンネーム)の文学界ウォッチ」からの引用です。残念ながら文庫本の装丁はちがっています。
――天童荒太『永遠の仔』のカバー写真を覚えているでしょうか? 私はあの写真に圧倒されました。上下2巻のカバー写真は同じものですが、表と裏が逆になっています。上巻の表紙には2人の少年、裏表紙には1人の少年。下巻は表紙には1人の少年で、裏表紙には2人の少年。ともになにかをじっと見すえています。
神秘的な少年たちの視線に、圧倒されました。私は「少年」と書きましたが、性別は明らかではありません。また「カバー写真」と書きましたが、初めは絵だとばかり思っていました。本書に掲載されている説明では、つぎのようになっています。
装幀・多田和博、
カバー作品・舟越桂、
『知恵の少年達へ』写真撮影・落合高仁、
『かたい布は時々話す』名古屋市美術館所蔵写真撮影・落合高仁、『砂と街と』写真撮影・近藤正一、
写真提供・西村画廊(株)求龍堂
あのカバー写真の謎が解けました。あの写真は、舟越桂という人の彫刻だったのです。天童荒太は「本」(講談社・2000年7月号)につぎのように書いています。
「昨年、上梓した小説のカバーに、船越さんの彫刻作品をとの案が出されたのは、二年前の秋のことだ。無垢で温かい印象ながら、生きることの厳しさや奥深さをたたえている舟越彫刻が、その物語には合うと思えた。」(本文より)
私が圧倒されたカバー写真は船越桂の彫刻作品でした。その船越桂の版画と天童荒太の文章が合体した作品集が出版されています。『あなたが想う本』(講談社)。
天童荒太『永遠の仔』には感動しました。もう一つの感動をあたえてくれた〈カバー写真〉の作者・舟越桂の版画を、じっくりと見たいと思います。版画展があったら行ってきます。
◎心の傷とは(追記:2015.03.02)
むかし書いた書評がでてきました。天童荒太を知るうえで、大切なポイントだと思います。追記させてもらいます。
(転記はじめ)
天童荒太『包帯クラブ』を読みました。天童荒太の6年ぶりの書き下ろしです。しかも珍しい新書サイズでの登場でした。(補:現在はちくま文庫)新書版といっても、260枚と長いものです。『包帯クラブ』は、少年少女たちの「心の傷」に迫った作品です。しかし、従来のように重いものではありません。
天童荒太が「心の傷」にこだわりつづけるのは、つぎの理由からです。
――悲しい人とか、懸命なのに生きづらさを感じている人に惹かれるんでしょう。自分に、そういう人たちに対しての共感があるんだけど、何もしてあげられないこともわかっているので、せめて物語は差し出せるかもしれないということもありますね。
(「ちくま」2006年3月号・インタビュー記事より)
本書のタイトルの意味は、読んでのお楽しみとさせてもらいます。天童の新しい世界にふれて、さらなる可能性を確信しました。
(転記おわり2006.05.10)
(山本藤光:2010.01.21初稿、2015.03.02改稿)