開成山公園内に残る公園の表土を剥ぎ取った土の山
郡山市役所前にある開成山公園内のモニュメント「開拓者の群像」の右側に見える緑色の小高い盛り土は、公園内の表面の土を剥いだものを積みあげたものです。最終処分場が決まらないので公園内に積み上げて置くしかないわけです。公園内の芝もすべて剥ぎ取られておりました。「開拓者の群像」を検索してみましたら、、、安積原野は明治政府の国内第一号の国営開拓地であったわけです。殖産興業を図る明治政府の主要事業の最適地として新国家づくりの先駆けとなり全国から約2,000人の元武士が開墾入植してきた町です。また、開成山大神宮は安積開拓の開拓民の精神的なよりどころにするため、福島県の典事の中條政恒が伊勢神宮の分霊の奉遷を神宮司庁へ働きかけた結果、明治9年(1876年)に認可がおりて創建されました。開成山公園内の五十鈴湖は、伊勢神宮の前を流れる五十鈴川にちなんで五十鈴湖と名づけられました。湖にするために掘った土は開成山の盛り土となりました。開成山公園(ウィキペディアより)郡山市役所前に位置する、郡山市のシンボルの一つとも言える公園。総面積約30ヘクタール。(約547×547m) 1haは100a(=10000平方メートル (m?) )安積開拓に深いかかわりがあり、園内には開拓時に植えられた大量の桜があり、県内でも有数の花見の名所となっている。 また、園内には開成山総合運動場、隣接地には郡山総合体育館があるため、福島県内では福島市のあづま総合運動公園と並ぶスポーツの拠点でもある。施設概要 開成山総合運動場(郡山総合運動場) 郡山総合運動場開成山野球場郡山総合運動場開成山陸上競技場開成山水泳場(開成山プール)開成山弓道場その他 五十鈴湖開拓者の群像野外音楽堂バラ園国鉄D51形蒸気機関車耐震貯水槽郡山市総合教育支援センター歴史 江戸時代は、二本松藩の狩場として利用された。明治時代の初期、安積開拓が行われた際に灌漑用の池、開成沼が造成された。開成沼の周りには、安積開拓に携わった民間団体、開成社によって約4000本の桜が植えられた。明治時代後期、福島県産馬畜産組合の競馬場が置かれたが、政府の公認が得られなかったため、やがては、廃止された。昭和時代に入ると開成沼は埋め立てられ、一部が五十鈴湖、開成沼として残されたが、その後、開成沼と呼ばれた部分は埋め立てられ、開成山総合運動場として整備された。1972年(昭和47年)、公園として整備され、正式に開園。所在地:福島県郡山市開成1丁目5