おじいちゃん。
ソファーで寝てしまっていた。亡くなった祖父の夢を見た。私が滞在する宿によろよろと訪ねてきた帰り、祖父は歩きながら血を吐いた。吐きながらも彼は歩き続け、体のあちこちから内蔵が溶け出してくる。ゆるやかな広い階段に、どす黒く溶けた内臓が点々と落ちる。腐った肉の臭いが充満していた。親戚が集まってきて彼を囲む。泣き叫んでいる者もいる。祖父はとうとう階段に倒れ込んだ。その体からは止まることなく内臓が溶け出し続け、階段の下へ下へと臓物が流れていく。腐った、肉の臭い。祖父はもう死んだものと思って、宿の部屋に戻った。部屋には幾つものストーブが焚かれていて、強烈に暑くて明るい。ごうごうと燃え上がるストーブを、火傷しないようにおそるおそる消火しようとしているところに、母が来た。「ねぇイニシアル」私のことだ。「イニシアルとかって呼ぶのやめてよ」そう言ってから、尋ねてみた。「おじいちゃんはもう…」「まだ分からないけど、月曜日の朝まではもたないだろうって」なんてことだ。あんな状態でまだ生きているらしい。痛々しすぎて、看取りに行く勇気がない。現実に祖父が亡くなった時のことを、私は覚えていない。私は17かそこらで、精神的に一番おかしくなっていた時期だった。「果ての心臓」に書いた、最初の彼氏の家に入り浸っていた頃で、一瞬たりとも彼の傍を離れるのが怖かった。家のすぐ前に煙草を買いに行った彼の帰りが、数十秒でも遅いと感じるとパニックに陥り、がたがた震えて泣き叫んでいた頃。祖父が危ない、と母から電話が入ったが、「ごめん、ここを離れられない」と電話を切った。どうすればいいか分からず、彼氏に抱きついて泣いた。…そこまでは覚えてる。交通事故だったのか、病気だったのか、思い出せない。あの電話の後どれぐらいで亡くなったのか、それとももう亡くなった後の電話だったのか、思い出せない。葬儀に出たかどうかも思い出せない。小学生の頃に祖母が亡くなった時のことは鮮明に覚えてるのに。何も思い出せない。初孫の私をとても可愛がってくれた祖父だった。フランス語の私の名前を発音できないからと、きれいな日本語の名前をつけてくれた。彼は絵描きで、広いアトリエにいつも油絵の具の匂いが充満していた。ダミ声で子守唄を歌うので、私は余計眠れなかったりした。居間のTVで高校野球を見ながら、大声でTVに向かって話しかけていた。テーブルの上にはいつも、タイガーバーム。彼の思い出はいくらでも、限りなく出てくるのに、その最期だけがあっけなく私の中からフェイドアウトしている。そんな祖父の夢を見た。おじいちゃん、ごめん。何も返せなかった。ごめん。