一昨年読んだ本をもう一度読み返していた。
『源氏と日本国王』。
これは非常に興味深い内容だ。
そもそも源氏ってなんだ? という疑問から始まっている。
源氏物語の光源氏と、源頼朝や義経とは、関係ないと俺も思っていたが、違う。これらは関係あるのだ。
そして、蘇我「の」馬子、菅原「の」道真」、源「の」頼朝、平「の」清盛、と、いうように古代から中世にかけては「の」が入るのに、なんで足利義満や織田信長や徳川家康は「の」が入らないのか。
なぜ天皇には苗字がないのか。
こうした疑問をすっきり解決してくれる。
そして、最終的には源氏長者こそが日本の国王である、という結論に導く。
現代の新進気鋭の歴史学者による鮮やかな新説の論理は頗る明快で、しかもおもしろい。新書の中でも高く評価できる本である。
もちろん、この本でいろいろと述べられている説が正しいのかどうかは、素人である俺にはわからない。が、どれも非常に興味深いし、納得できる説ではある。
上記の疑問の回答を少しだけ述べる。
まず、姓と苗字とは違うものであること。これは現代ではごっちゃにされているが、もともとが全く性質の異なるものなのだ。
姓とは、源平藤橘に代表されるものであり、天皇から下賜されるものである。
それに対して苗字とは地名などを名前の上につけるものであって、私称できるものだ(無論、ある一定の階層の者に限られる)。
したがって、姓にのみ、名前との間に「の」が入ることになる。
姓をみれば、源「の」義満であり、平(または藤原)「の」信長であり、源「の」家康なのである。
そうなると天皇に姓がないの理由もわかる。自分には下賜する必要がないからだ。
そしてこの国に、中国のような易姓革命がないことの証左として、姓のない天皇が統治しつづけていることが挙げられる。もし、仮に道鏡や信長などが皇室を滅ぼしたりしていれば、国号が「日本」でなくなっていた、という可能性もあるのである。
著者は、「七世紀末に定められた「日本」という国号が、今日に至るまで一度も改められなかったということは、とりもなおさずその国王の氏姓が一度も改まらなかったということを意味している。」と述べている。
そして、詳細はここには書かないが、「源氏」というのは、、「祖先すなわち源を天皇と同じうする」という意味であって、「たまたま臣籍に身を置く」准皇族に普遍的な姓であったこと(一旦、源姓を得た後即位した宇多天皇の例が挙げられている)、源氏は場合によってでも親王に復することができる存在と認識されるようになったことが述べられている。
そして平氏とは源氏よりもやや遠い皇族に与えられた姓なのだ。
そして、著者は源氏長者に注目する。淳和・奨学両院別当という地位を代々受け継ぐ源氏長者とは何者か。これは名誉職ではなく、たまたま臣籍降下した皇族である源氏の綜まとめ役であり、この源氏長者こそが日本の王権を担う者であったというのだ。ちなみに、征夷大将軍になった頼朝は源氏長者ではなかった。頼朝に始まる武門の棟梁である清和源氏は、実は源氏の中では家格が高い方でなく、一貫して村上源氏が、代々源氏長者についていたというのだ。非常におもしろい。
初めて武士から源氏長者になったのが足利義満である。そして足利義満は日本国王を名乗り、准三后の位につき、息子義嗣を天皇にしようとしていたとされる。近年よく言われている皇室簒奪計画といわれるものである。しかし、著者は、義満は天皇になろうとしていたわけではなく、すでに「治天の君」たる地位を簒奪しており、王権を簒奪しきっていたという。いずれにしても日本史上空前絶後の権力者であることに異論はない。
著者は、ここから源氏長者こそが日本国王なのではないか、と論じる。スリリングすぎる。
これ以降、源氏長者は武門に移ることになるが、家康は源氏長者であったにもかかわらず、秀忠はなっていない。家光以降は代々徳川家が源氏長者の地位にあるが、慶喜が大政奉還すると同時に源氏長者の地位も返還する。著者は、大政奉還したのは、源氏長者たる日本国王の地位である、と論じる。
日本の王権についてここまでおもしろく、かつ明晰に語られた本はあまりない(途中名指しではないが、井沢元彦を批判するくだりもあっておもしろい)。
はっきりいって、この短いブログでは、この本の論旨を余すところなく紹介する事ができず、もどかしい。興味を持った方は是非読んで欲しい。今まで学校などで習った日本史に対する見方が一変する本である(ただし、正しいものなのかは保証できない)。
俺は、こうした自分の既成概念を打ち破ってもらわんがために、本を読むのである。
これに優る喜びはそうそうない。
六輝=先勝、九星=五黄土星、中段十二直=定、二十八宿=觜、旧暦八月十二日