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テーマ:政治について(19784)
カテゴリ:政治、社会問題
敵基地攻撃能力について。。。
「絶対に持つべきでない」という意見を是とするに十分な根拠がないので、 これについては、「場合によっては、検討の必要性もあり」 という意見にしておきます、現状。 ただ、先制攻撃に関しては、明確に「反対」 これは、あり得ない。 軍事ジャーナリストの小川和久氏?が言ってることにまさに賛成だが、 どれだけ美辞麗句を並べようとも、「先制攻撃」は、はやい話が 「戦争を始める」ということ。 自力で戦争を良い方向に推移させ、かつ完結させる能力がないなら、 絶対に自ら戦争を始めてはならない。 (第二次大戦時の、あの大国・アメリカですら、決して自ら戦争をスタートさせようとは しなかった。 それだけ、戦争を始めるという決断は重いということだろう。) よくいう「やられっぱなしでいいのか!?」という議論があるが、 上記能力がない以上、 場合によっては、やられっぱなしでもやむを得ない。 国際社会が、「パワーが正義」だけではないはずと信じて祈るしか、 日本のような弱小国、資源非保有国に残されている道はない。 (これは、日本に限らず、アメリカをはじめとする、戦争を自ら自己完結できる 能力を備えたごく一部の超大国を除いて、普遍的にどの国にもいえることである。 ここが、軍備推進論者の人とは意見を異にするところで、、 彼らの意見を聞いていると、日本がちょっとばかり軍事を増強すれば、 ならず者国家から安全を確保できるような勇ましいご意見が多いようだが、 はっきり現実をみれば、日本が軍備を増強しようがしまいが、 アメリカの庇護なしに、日本が自らの安全を確保することは、100%不可能である。 その能力を備えようとすれば、徴兵制や増税くらいでは、決しておぼつかない。。。 というより、そんなポテンシャルもないのに、その立場を高望んだ結果が、 先の大戦での結果、、、とすら言える) たとえ先制攻撃によって、最初の被害は食い止めたにしても、 その結果戦争状態に突入し、結局他の被害を招くなら、同じこと、、、 いや、むしろ、比較しても、より悪い結論だろう。 先制能力を持つということと、実際に先制攻撃をするということとは、 明確に違う概念だと思うので、 前者に関してはあくまで保留するが、 その両者が明確に違う、ということは、日本国民が、絶対に認識していなければ ならない部分だと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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