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カテゴリ:冤罪(狭山事件等)
![]() 部落・根っ子ばなし 第五集 田中龍雄 「あきないの群れ(二)」より抜粋 通行勝手の世じゃというのに、米びつなみに世間に向けて、ふたをしとった村もあってな。 よそ者たちへのいましめに、浮浪人、物乞い、物売りは立ち廻るなと、いぜんになかった立て札を、これ見よがしに立てとったがな。 なあに、物乞いでない、物売りでない、目つぼにとったはあきないで、村に立ち入るわしらのことじゃ、と。 あきない仲間が出向いたら、いきなり百姓に取りまかれたと。 「やいっ、盗んだ鍋をどこへかくしたっ」 と胸ぐらつかんでが鳴ったでな。のみこめなんだで口あけとったら、とたんに引きずり廻されと。 あきない仲間が駆けよって 「手荒をするなっ」 と、その百姓をひきはなしたら 「こいつは盗っ人じゃ。鍋盗りじゃ。さてはおのでも同腹かっ」 と、あたりの百姓もわめいたと。 「わしらのいつれじゃ。竹皮買いじゃ。なんで鍋なぞ盗るものか」 と、藪から棒の言いがかりに、盗らん、盗らん、と言いはったら、その家のおかかが押し出されてな。 朝めし喰った鍋の始末に、かどの小川に漬けといたら、いつのまにやら盗られてしまった。近ごろ村に鍋盗りがきて、三つ、四つと盗られたが、となり近所や村うちで鍋など盗む者はない。 今朝がた姿を見かけたは、このじんだけじゃ、と指つきつけたと。 「わしらは朝から遠道かけて、さきがた村へきたばかりじゃぞ。盗っ人呼ばわりするからは、なんぞ証があってか、やいっ」 と火の玉になっていきまいたらな。なんと 「おのれらこそ、盗っ人でないの証を立てよっ」 じゃと。 いぜんの身分でいやしめて、はなから盗っ人あつかいで、こののち村へは入れぬ気じゃ。 押し問答のさいちゅうに、小川をながめとった仲間が問うたと。 「これ、おかか。たしかに鍋を沈めたろうな。沈めて重しをのせといたかや」 「大事な鍋じゃ。重しを忘れてなるものか」 「ならば重しはどこにある。重しの石まで盗るまいに」 言われたおかかがいまさらに、思いあたって見廻したで、その場の者もいちように、小川のふちをふり返ったらな。 流れのふちの石垣の上に、鍋ぶたをのせた重しが置かれ、水気知らずのかわきようじゃと。 「ここまで鍋を持ってきて、ここでしゃがんで鍋ぶた取って、ふたをうっかり重しにのせたで、さて、重しの石が目につかんと、鍋をそのまま沈めたが、おかかは重しをのせた気じゃ」 「見とったような嘘こくなっ」 「まず聞けや。鍋があろうとなかろうと、わしらに罪をかぶせたら、おまえさまらは気がすむじゃろが、重しを忘れた鍋ならば、下手のどこぞにあるはずじゃ。探しあてるまで後へのかんぞっ」 と。後ずさりするおかかをつれて、小川のふちを川下へ、眼を皿にして下ったらな。 つるを片っぽはずした鍋が、水草の上にころがっとったと。 思わず流れに飛びこんで 「どうじゃっ、これ見よっ」 と、鍋をつかんで見せてやったが、喰い物を煮る鍋じゃでな。 おかかはもとより百姓までも、鍋をつかんだ手もとを見ると、顔をいがめてそっぽを向いたと。 はらわたにえくりかえった部落の仲間が、百姓たちの足もとへ、泥をすくって鍋ごと放ったと。 ・・・ 1871年8月28日の「解放令」発布以後、92年を経た1963年5月01日に「狭山事件」はおきました。当時の社会は、こぞって被差別部落の人間に犯人の疑いをかけ、裁判での第一審、第二審の敗訴は、狭山事件の闘いに学ぶ子どもたちをはじめ 、多くの支援者の人たちの心を踏みにじりました。 44年後の今日、自分はブログを通じて、狭山事件の第三次再審開始の支援を一緒にしませんかと呼びかけていました。その結果、少しずつですが、「石川氏はケンカや上衣の窃盗については、やったのだろうか? 普通の人は(特に上衣の窃盗は)やらないはずだが・・・」などと、裁判の争点とはなっていない点に自由に目をむけ、もしくは確信犯的に疑問を呈する若い世代の人たちとの交流が生まれました。その感性から自分自身はたくさんの希望を貰いました(苦笑)。 とはいえ、44年もの歳月をかけ、しかもその間、無罪を示す証拠 の数々を提出しているにも関わらず、疑いが晴らされることがないという「狭山裁判」の現状は、時間がかかりすぎですし、納得できるものではありません。 2007年5月23日、狭山事件石川一雄さん不当逮捕44ヵ年きゅうだん!
部落・根っ子ばなし 第五集 田中龍雄 「あきないの群れ(二)」(続き) このあたり、小学校が置かれるいぜん、学問好きの地主や郷士が思いおもいに人よせて、学問おせえる塾があったと。 通った者の評判で、地主の塾はともかくも、さむらい気質の郷士の塾は、なんぞごとにも見識ばって、身分の上下でおせえたでな。 いぜんの身分をなつかしがって、口を開けば門弟たちに 「四民平等とは士農工商の四民じゃで、穢多まで平等はまちがいじゃぞ。損をしたのはさむらいで、得をしたのはげせんの者じゃ」・・・ そのじんがいまにいたるも手放さぬ腰の刀を引きぬくと 「おのれらげせんのぶんざいで、ご神水に口をつけたなっ。土下座せいっ」 とよ。仲間が思わず笑いこけ、腕ぐみしてじっくりと顔ながめとったら、目をすえて刀かまえて突っかかったでな。 後ろの仲間がとびついて、羽がいじめして刀をうばい、拝殿わきへ引きずり込んで、ひざをたたいて尻もちつかせ、締めたまんまで座りこんだと。・・・ ころあいを見て放してやったが、しびれた身体がいうこときかず、よろけてその場へ両手をついたと。 「おまえがなんと賤しめようと、わしらは糞とも思わんが、おまえは人を見くだした以前のまんまの郷士じゃで」 と、刀を拾って投げてやり、仲間の一人が言いだくれたと。 「こういうおりは御身分がら、腹切るならいとちがうかや」 こちらも面白いですよ♪ 『ざるにはざるを/部落・根っ子ばなし』田中 龍雄
Last updated
2007.05.26 21:14:39
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