カテゴリ:あげまん・さげまん
また連日のブログを書いております(笑) 今日のおさらい。
ほら、書かないと忘れるしさ、後になって、ま、いっか!ってなっちゃうからね。
アゲは基本嫉妬されますね。 自分なんかのどこに嫉妬!?と思うんですが、ここなんですよ。
アゲは基本自分に興味があります。 ですが、他人にはあまり興味がない。 サゲの人にはあまり興味がないというか。
なので自分の好きなことばっかりしてたら、幸せなんだろうな、と思うほど。
基本人のことを気にしないし、自分の好きな世界があったら嬉しいのです。 そんな世界観は、人が見ると素敵に見えるのでしょう。
アゲでは当たり前の自分の世界観なんですが、サゲの人にしてみたら羨ましい。
でもね。 そんなアゲでも人に嫉妬することがある。 それは自分がダメだと思う部分において嫉妬するといいますか。
嫉妬するとか、嫉妬までいかなくても、妙に気になるとか。 まぁ、一言で言えば「比較」です。
誰かと自分を比較することで、自分は無い、あの人の方がすごい、羨ましい、ってなる。
そして人と比較をしていると、不幸な気持ちになる。 自分は無いんだ、足りないんだってなるから。
こんなのを一通り見てきて、比較をしなければアゲは自分の世界に浸って幸せなわけです。
そんなアゲに嫉妬する人(サゲ)がいるかもしれないけど、そういった場合は、足を引っ張って、嫌がらせして、「ねえねえ」と背中を棒でツンツンして、意識をその人の方に向けさせられて、嫌がらせされて・・・となる。
で、ここで悩み勃発。 嫌がらせをされるという悩みができるわけです。
物事って何でも無意味に起こっているわけじゃ無いから、何かしらのそうなる理由とか、思い込みとか負けコンプレックス(人が入れたレッテル)とかあって、だからこそ起こるのかもしれないけど、それも解決したら、また自分だけの大好きな世界観に浸ればまたそれが幸せなわけです。
こうしていると、世の中というものは、いつも何かしら不安にさせるものがワンサカある気がしますね。
こうしないとダメ こうしないと恥ずかしい こうじゃ無いと常識ない 普通はこうなのに〜〜をしないあなたはおかしいとか。
不幸の入り口が比較の気もするし、 比較があるからこそ発展もするという考えもあるんだけど、 自分を全部幸せにしようと思ったら、自分の世界観に浸って、人と比較しないで、好きなことに邁進することだよね。
例えば私は自分の仕事が好きだし、謎解きが好きなんだけど、ここに、アクセス数とか、いいねの数とか、読者登録数に目が行くとするじゃない?
すると、途端に自分は誰かと比較するんですよ。 そしてそこばっかりが目に行く。
あの人は****なのに、私はこれしかない、とか。 または私こんなにある〜!って調子に乗ってたら。やはり世の中は流動性なので、それが廃れる時も来る。 または盛り返す時もある。
こんなことで悩んでいたら、せっかくの自分のご機嫌タイムが減ってしまうな、そんなふうに思ったのでした。
メールに返信していないのにブログ書いて良いのかとか、そんなこと考えていた時もあったけど、苦しくなってやめた。
私は宣伝というものはほぼ無くて、ブログ一本なんだけど、だからこそ毎日頑張らないといけないという人もいるけど、私はそれができない。
でも、それでも見てくれる人がいる。 ありがたいよねー。 自分の思ったことを発信していくことの幸せ。
全然他の人が言ってないことを書くという幸せ。 これも人のしがらみがないからできることかもね。
こんな感じで、好きなことをして仕事にしてるだけでも嫉妬されることもある。 好きに生きて、家族仲良くていつも出かけてる、というだけでも嫉妬する人もいる。
なのでアゲはどこで嫉妬されているかわからないけど、比較が多いほどに不幸だし、こうしなければならないに縛られるほどに、大変で制限がかかる。
〜〜を今のうちにしておかないと、大変なことになるよ〜!?という言葉が嫌いで、とことん縛りから遠のいた今が私。
ゆるゆるでも良いじゃない。 幸せって、私の場合は縛られないことかな。
あ、そうそう。 アゲって責任感強い人が多いから、そこにつけ込まれて責任取らされるケースも結構あるよね。 この場合、線引きが必要。
ここからここは私ではない、相手のものだ、と。 下手すると、相手のしなくてはいけない事が、ちゃっかりアゲがやらされているというケースも少なくないでしょ。
そんな時、これは果たして私がやる事なの? これって相手のものじゃないの?と見極めることも必要かもね。
サゲの人って、比較比較の連続だからさ。 大変なんだろうと思う。
だから、アゲは楽に見えるのか、楽しそうに見えるから、押し付けられることもあるかもね。
比較ばっかりして、特にサゲやバンパイアは、自分が幸せなら勝ち。自分よりも相手が幸せなら自分の負け、という考え方になる。
でも、アゲも不幸な考えにハマっている時はこれになりがちなので、気づいてくださいね。 人と比較しているうちは、自分の望む幸せは遠く感じるよ。
実はいろんなものを持っている。 でも、そのいろんなものを持っている事が当たり前になってて、外側の「〜〜〜をしていない自分は恥ずかしい」という考えに取り憑かれると、毎日泣いて暮らすことになる。
◯◯できない自分は不幸、あの人もこの人もしてるのに、となると、大変じゃないかと。
人生で当たり前とされていることを、できていない自分は不幸と捉えるのは違うかもね。
そんな物差しで自分を測って、その度に不幸な気分になるくらいなら、今の好きなことを目一杯楽しめば良い。 あくまで全部自分主体 それで良いと思うんですよ。 勝手にタイムリミット設けるのも自由だけど、大変じゃない?
ガツガツしているよりも、楽しんでる自分を見て良いなと思う人が来たら良いでしょ。
理想論語ってると思われるかもしれないけど、自分のペースでいけば良い。 本当にしたいことをしたら良い。 比較して焦って不幸に浸るのはもったいない。
綺麗事みたいに聞こえるけど、本当にそうだと思う。
大衆に従って生きると、自分が好きなことをすると考えると下らなく感じたり、贅沢に思ったり、余計なことだと感じるのかな。
この、大衆って厄介だよね。
この大衆に目がいって、そっちに合わせなくてはいけないとなると、自分がしたいことってわからなくなるんじゃないのかな。
なーんて取り止めのないことを書いてみました。
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最終更新日
2020.10.08 01:55:41
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