坂本竜馬は本当に死んだのか!?
見事な満月の夜。今日は僕の敬愛する坂本竜馬(正式名称は龍馬)の命日であり、生まれた日でもある・・・らしい。本当の本人は当然ながら知らない。僕は司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」などの書籍や漫画、TVでの知識しかないわけだ。彼を知ったのは、ちょうど「らくだ銀座」を創る準備をしていて奔走していた時期、今から約3年前ほどだ。これほど、勇気を与えてくれたことはないし、自分のことのように感じ、僕も維新の時代を生きた気さえする。血がたぎった。活字の上で、「竜馬が殺された」のを知ったとき、「そんなバカなことがあるか!?」と思い、友人に電話で泣きながら「今日、竜馬が死んだよ、歴史では知ってたけどな、 ほんとに死ぬとは思ってなかったんだよ」と伝えた。友人は、なんのこっちゃと思ったようだが、まあ当然のことかもしれない。それだけではない。彼を知ってから、ずうっと竜馬を初めとする志士が活躍していた明治維新の時代とこの現代がシンクロしているような気がしてならない。いろんなことがツナガッテイルし、偶然とは思えない出来事ばかりが僕のまわりで起きる。僕はほんとうに思い込んでいるふしがある。今は、時代の過渡期なのだ。ココロだけではなく、肌で感じる実感がある。連日何百人もの人と会い、話し、移動し、飯をくらい、酒をかこむ。いきり立って「おぬし斬る!」と思うこともある。でも、ほんと維新のときでも今でも、論や武力や権力では、ことは成らない。残るのは遺恨だけなのだ。先月から再び「竜馬がゆく」を読み返して、旅先でもずっと読んでいる。できれば、NHK大河ドラマの「勝海舟」(倉本聰脚本)もみたい。あの倉本さんがNHKと大喧嘩して、その足で北海道へ勢いでむかったという作品。そこから「北の国から」も始まった。今、何かが始まろうとしていると思う。何かを選択して貫いてまっすぐにいくということは、同時に何かを落としていく、捨てていくことになるのだと最近ようやく分かった。ずっとそれは否定していたからね。二年くらい前から感じてはいるが、あと数年もすれば、すっかりいろんなことが変わってしまっている気がするのだ。「時流」を感じ、無理せずに走りたいと思う。選択肢はいろいろあるはずだ、今の現象や利害では計れない道がね。坂本さんがいたら話してみたいことがいっぱいある。「坂本さん、あんた本当に死んだんか?」坂本竜馬になりたい、とはいわない。いつもいろんな問いかけに耳をすませ、試されながら、いいとか悪いとかじゃない部分で、素のまま生きていくしかない。どうせ出来ることなんて、僕の生き方なんて選ぶほどはもともとないのだから・・・、ほんとはずっと前からわかってはいたんだ。無心だな・・・、むずかしいっちゃね。