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カテゴリ:海外旅行
ネヴァ川クルージングの後はサンクトペテルブルク最後の観光場所の 「血の上の救世主教会」へ。恐ろしい名称を持つ教会なのです。 文字通り「血」の教会。農奴解放令(1861年)を出した「解放皇帝」 アレクサンドル2世は、この地で革命家によって投げつけられた爆弾によって、 瀕死の重傷を負った皇帝は、担ぎ込まれた冬宮で一時間後に崩御。 そしてこの教会はアレクサンドル2世を弔うためにその暗殺地点に建てられた 教会なのです。エルミタージュ美術館(宮殿)から東へ1キロ足らずの所にあったのです。 公式名は、ハリストス復活大聖堂(Собор Воскресения Христова)。 このほか、血の上の教会(Church on Spilt Blood)の名称も。 血の上の救世主教会は1907年に完成した教会。 中央上部にはキリストが描かれていた。 ロシア聖教独特の色鮮やかなネギ坊主型のドームは、西欧風の洗練された街並みのなかで、 異彩を放っていました。外壁には144の地域の紋章がモザイクで描かれているとのこと。 入り口部上部の絵画。
覆われていた。 聖人が描かれた柱と豪華なシャンデリア。 中央天蓋。 そこには全能者キリストのモザイク画が。 そしてその下のドーム。 ドーム下の床も保護されたはすばらしい色石(半貴石)によるモザイク模様。 ここが、1881年3月1日に皇帝アレクサンドル2世が爆弾で暗殺された現場。 そこの石畳は当時のまま残されていた。つまり、今は教会の内部になっているが、 当時は車道だったということ。 東側のイコノスタス。 東側は、ロシア正教にとっては祭壇の向いている方角になる。 つまりは太陽の昇る方である。ロシア人は日本人と同じように昔は自然崇拝で、 山や川などと共に太陽を敬っていたとのこと。 イコノスタスは、聖なる空間の礼拝所と俗人の世界の礼拝の場を分け隔てつつ、 2つの世界の仲介として存在するイコンの壁で、正教会の中では最も重要な要素。 石材はジェノヴァの大理石。 王門は扉がしまっていた。 宝石がちりばめられたイコノスタスの王門。 最後の晩餐と聖人のイコン。 13歳のキリスト。 主廊と側廊で3つに分かれたイコノスタシスのうち向かって右側(南側のイコノスタシス) ピンクのロードナイトが美しいイコノスタシス。 この場所のイコンのテーマはキリストの復活。 再び中央天蓋。 北側の内壁。 中央は「使徒マタイの召命」。 2003年に制作された180分の1のサイズの精巧な模型 窓の下のパネルはキリストの生涯がテーマのモザイク画。 そして別の出口から外へ。 ソ連時代は粗末に扱われ、一時期は倉庫として使われていたとのことであったが、 長い修復期間を経て現在は美しい姿が蘇ってい驚きと感動の時間であった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.03.12 23:09:41
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