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JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.06.10
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カテゴリ:
熱海のお宮緑地(ジャカランダ遊歩道)の散策を続ける。
椰子の並木と「ジャカランダ」のコラボ。



こちらは比較的花のボリュームが多い「ジャカランダ」。



ラッパの形をした小さな青紫色の花。



熱海市の汚水マンホール。
熱海市は、2017年に市制80周年を迎えたことを記念し、マンホール蓋2種類をデザインした。
明治時代に熱海温泉を一躍有名にした尾崎紅葉の小説「金色夜叉」の名場面と「お宮の松」、
そして背景の夜空には「花火」を図案化したもの。



こちらは、今年の春先に熱海梅園の中にあったもの。
市の花「梅」、そして熱海温泉の文化の象徴である「芸妓」を図案化したもので、
こちらも熱海市市制80周年のロゴマークを配したもの。
熱海梅園は、1886年(明治19年)に開園し、日本で最も早咲きの梅の名所として全国に
その名を知られ、多くの観光客が訪れているのだ。
また、芸妓衆が稽古をする芸妓見番で開演される「熱海をどり」、「湯めまちをどり華の舞」
では、豪華な衣装に身を包んだ熱海芸妓による艶やかな舞を披露しているとのこと。

市政】「マンホール蓋」活用で観光振興 貫一お宮、芸妓デザイン/熱海市 | 熱海ネット新聞

赤のブーゲンビリアを背景に。









再びヤシの並木との共演。



「カスカイス市・熱海市 国際姉妹都市提携記念植樹」
ジャカランダ(ノウセンカズラ科) 平成2年(1990)7月2日。
カスカイス市は、ポルトガルのリスボン県の都市。
市内には、国際的なリゾート地であるエストリルを含む。
また、ユーラシア大陸最西端のロカ岬へのバスがここから発着しているのだと。
お宮緑地のこのジャカランダは平成2年7月にポルトガルのカスカイス市と国際姉妹都市提携を
記念して植樹された木であるのだ。





「サンデッキ広場」への階段手前。



石段横の黄色の「キンシバイ(金糸梅)」と「ジャカランダ」。



「ジャカランダは、樹木が大きく生長しないと花が咲かないのだと。
樹木が生長するには温度と日照等の必要条件があり、日本では冬を越せず生長できないので、
開花が難しいと言われていたのであったが。





「サンデッキ広場」の植栽の間を歩く。



「温泉寺」の文字が。





北側の「サンデッキ広場」への石段



「アガパンサス」。



真っ赤なカンナ。



「アメリカデイゴ」。








初夏から初秋にかけて真っ赤な花を咲かせ続けるアメリカデイゴは、
南アメリカ(ブラジル及び北部アルゼンチン)を原産とする暖地性の花木。
日本へ渡来したのは江戸時代末期のこと。



「アメリカデイゴ
原産(インド・マレー半島)
日本名(海紅豆)
日本では沖縄県が北限とされています。
沖縄県の県花になっています。」



この花の名は?



この花の名も?



近づいて。



「キング・プロテア」の蕾。



開花後のエピローグを迎えた花。



「キング・プロテア
学名    プロテア・キナロイデス
分類名   ヤマモガシ科プロテア属
樹高    1 m ~ 3m程度
原産地   南アフリカ 
開花期   4月~1 0月
花言葉   王者の風格
      甘い恋
プロテアは、花の王様と賞賛される南国の常緑低木で花名は自由に姿を変えることができる
ギリシャ神話の海神プロテウスが由来。
南アフリカには多種類のプロテアが自生しており、中でもこの「キング・プロテア」は
花が大きく優雅であることから南アフリカ共和国のシンボルであり国の花となっています。」





その下には
「明治の文豪尾崎紅葉の代表作小説「金色夜叉」は、明治30年(1897)1月1日から
5年半に亘り読売新聞に連載されたちまち単行本になり、劇化されるなど当時空前の
反響を呼び起こした。
 ストーリーは、ヒロインの鴫沢宮がカルタ会の席で、銀行家の息子富山唯継に見染められた。
しかし、宮には第一高等中学校の生徒であった婚約者間貫一がいたにもかかわらず、宮の両親は
それを承知の上で富山の求婚を受け入れたことにはじまる悲恋物語であり、作中の
クライマックスの場に熱海の海岸が選ばれたことと、金色夜叉の歌
    熱海の海岸散歩する  貫一お宮の二人連れ
    共に歩むも今日限り   共に語るも今日限り
が広く人々に愛唱されたことから、熱海は一躍脚光を浴びるようになり、今日、国際観光温泉
文化都市として、全国有数の観光地に発展を成し得たのは、丹那トンネルの開通と共に
金色夜叉が大きなきっかけになったのは言うまでもありません。
 金色夜叉の主人公貫一とお宮の名は「一月の十七日来年の今月今夜は、貫一は
何処で此月を見るのだか!再来年の今月今夜・・・・十年後の今月今夜・・・・」の名台詞と共に、
歳月の移り変わりのもかかわらず、人々の記憶に残り、いつまでも愛されていくでしょう。
 紅葉は、37歳の若さで死去し金色夜叉はついに未完に終わったが、紅葉の死後、彼の残した
「腹案覚書」をもとに紅葉の高弟であった小栗風葉によって完成された。
 熱海市では毎年1月17日、作者を偲んで尾崎紅葉祭が行われる。貫一お宮のブロンズ像は、
熱海市在住の日展審査委員館野弘青氏により製作され、熱海ロータリークラブが創立30周年の
記念に、昭和61年(1986)年1月17日熱海市に寄贈したものです。」



そして「貫一・お宮の像」に到着。



「尾崎紅葉記念碑」。



「尾崎紅葉(1867~1903)
森鴎外等と並び明治を代表する文豪。
胃癌のため35才の若さで惜しまれつつ世を去ったが、晩年、読売新聞紙上に連載した恋愛小説
「金色夜叉」が日本全国の読者の熱狂的支持を得て、その舞台となった熱海海岸は一躍全国に
知れわたった。以来。熱海市は国際観光温泉文化都市を標榜し、全国有数の観光地として大きな
発展をとげ、今日に至っている。
熱海市民は、尾崎紅葉先生の業績に感謝するとともに、その遺徳を偲び「金色夜叉」の
「来年の今月今夜のこの月を」の名科白で有名な貫一・お宮の別離の日、1月17日を
記念日と定め、尾崎紅葉祭うぃ開催している。」


「尾崎紅葉」の写真。



心変わりの許しを請うお宮と、それを足蹴にする貫一の姿の像が。
貫一の右奥に熱海城の姿が。



「この像は、明治時代の新聞連載小説、尾畸葉著「金色夜叉」の主人公の貫一とお宮の切ない
別れを再現したものです。
ニ人の心の擦れ達い、愛情、悲しみが詰まった象徴的な場面であるため、物語を忠実に再現
したもので、決して暴力を肯定したり助長するものではありません。
是非、この小説をご一読いただき、ニ人の心情や当時の世相に思いを馳せていただけましたら
幸いです。」
台座には館野弘青(たてのこうせい)作と刻まれていた。



「「お宮の松」の由来。
お宮の松は、尾崎紅葉の小説「金色夜叉」に由来し、命名されたものである。
この松は、江戸時代前期(1645年頃)、智恵伊豆と呼ばれた老中松平伊豆守信綱が伊豆を
巡視した際に植えさせた松の一本といわれている。この松は、その姿が美しかったことから、
「羽衣の松」とも呼ばれていた。
1897(明治30)年から読売新聞に連載された「金色夜叉」により、熱海海岸の場が登場した
ことから人気を集め、また、演歌師のつくった「金色夜叉の歌」が流行し、熱海温泉の名は
一躍脚光を浴び、天下の熱海温泉を不動としたものである。このことから、1919(大正8)年熱海に
別荘を持っていた「煙草王」村井吉兵衛や土地の有志によって、横磯に「金色夜叉」の碑が
建立された。この碑には、紅葉の門人であった小栗風葉の句「宮に似たうしろ姿や春の月」が
刻まれ、羽衣の松のかたわらに建てられたことから、いつしか「お宮の松」と呼ばれ、
熱海の新しい名所となった。 また、この碑も女性的な感じから川端康成は、
「石そのものも可憐な女の後姿に似た記念碑」と認めている。
1949(昭和24)年、キティ台風により道路が崩壊されたことにより道路の拡幅が行われ、
海側に伸びた大枝が切られ、また、観光地としての発展に伴い、自動車の排気ガス等により
とうとう「お宮の松」は枯れだした。(初代「お宮の松」の樹齢はおよそ300年で、
現在のつるやホテル前の歩道から海に向かって約2メートルの場所にあった)。
市では、市民皆様の協力を得て、二代目「お宮の松」の選定を始めた。
その結果、50数本の候補から、熱海ホテルにあったクロマツを「お宮の松」に選定し、
国際興業の社主であった小佐野賢治氏により寄贈を受け、小田原市の本多大四郎氏の所有する松を
添松とし山種証券の山崎種二氏等の寄附並びに市内関連団体の多大な協力により、
1966(昭和41)年現在の場所に二代目「お宮の松」として完成したものである。
「お宮の松」の樹齢は、2001(平成13)年現在でおよそ95年、添松はおよそ75年になります。」



細長い石碑は・・



「紅葉山人記念 金色夜叉の碑」
「宮に似た うしろ姿や 春の月 風葉」。



「お宮の松」。



「初代のお宮の松」。



現在のお宮の松は昭和41年に植えられた2代目で、初代は排気ガスの影響などで枯れて
しまったとのこと。
2代目の脇に展示されている初代の切り株をみると相当大きな松の木だったことが
分かるのであった。




                              ・・・​もどる​・・・

                   ・・・​つづく​・・・





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Last updated  2021.06.10 15:50:01
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