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「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

ほしのきらり。

カテゴリ

2021.06.23
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カテゴリ:美術館・博物館
​​​​​​​​​​​​​​​​​パブロ・ルイス・ピカソは、サーカスに通い詰め特に道化師を描きます。彼の絵には生涯にわたり道化師をテーマとした作品を見つけることができます手書きハート

みずがめ座​​​ピカソのアルルカン​​​みずがめ座

Pablo Ruiz Picasso


Pablo Picasso
​​​パブロ・ピカソ​​​


​​​​1881年10月25日〜1973年4月8日(91歳没)


​アルルカン(道化師)は・・・​

盲目のホームレスや売春婦たちに混じって、

青の時代の初めから登場していた。


ときには憂愁に包まれて、

ときには陽気に​、

嘲るように、

あるいはドラマティックに、

ピカソの全作品を通じて

アルルカンは繰り返し現れた。


アルルカンは、

旅芸人たちとともに現れた。

「この渡り歩きの者たち、

 わたしたち自身よりなお少し

 はかないこの一むれ」


と、ライナー・マリア・リルケが歌った人々である。


当時、ピカソは・・・

メドラノ・サーカスに足繁く通った。

彼は、ブラッサイに打ち明けてこう言っている。

「ぼくは、じっさいサーカスに夢中だった。

 一週間に何日もサーカス小屋で

 一晩すごすようになったことがよくあった。

 ・・・ぼくはとりわけ道化師が好きでね。

 ときには酒場で一晩中

 彼らとおしゃべりするために

 舞台裏に残っていることもあった。

 道化師が昔流の古典的衣装をやめて、

 バーレスク風の衣装を着るようになったのは

 ‘メドラノ’でだったんだよ。

 こいつは、まったく革命だった・・・

 彼らは、衣装や人物を

 自らつくりだすことができたし、

 奔放な空想をくりひろげる力があったのさ・・・」。

運命の皮肉か、

定めの微しか、

ピカソの最初の画商となったクロヴィス・サゴも、

元は道化師だった。

「クロヴィス・サゴっていうのは、

 実に けちな男でね。

 ほとんど高利貸って言ってもいいね・・・。

 でも時々、文無しになると

 私は何点か絵をかかえていって、

 奴に売ったものさ・・・

 それに、ガートルード・スタインの兄貴が、

 ある日、私の絵を

 サゴの所で見かけることができたというのも

 そうしたことがあったからだ」。

マックス・ジャコブは書いている。

「私たちの暮らしは皆ひどいものだった。

 何といってもすばらしかったのは、

 それでも私たちが何とか生きていられたことだ」。

モンマルトルの丘の狭い坂道の通りには、

安いレストランがたくさんあった。


開店後まもない​「ラパン・アジル」​という

小さなカフェは・・・

すぐにピカソを含む画家、

詩人グループの溜まり場になった。

皆は晩になるとここに集まって意見を交換したり、

ハリー・バウアとデュランが

ロンサールやヴィヨンの詩を

朗読するのを聴いたり、

フランス・カルコが

カフェ・コンセールの歌を歌うのを聴いたりした。


壁には・・・

ユトリロやらシュザンヌ ・ヴァラドン、

ピカソの『ラパン・アジルにて』など、

主人のフレデが

つけの支払いの代わりに受け取った

画家たちの作品が掛かっていた。


​​ピカソのアトリエには・・・​​

アルフレッド・ジャリ、

シャルル・ヴォルドラック、

ピエール・マッコルラン、

ギョーム・アポリネール、

マックス・ジャコブなどが集まった。


やがて・・・

作品を買ってくれそうな美術好きもやってきた。

ふたりのアメリカ人、レオと

ガートルード・スタイン兄妹も、そのなかにいた。


初めてアトリエに来たときに

彼らは、非常に感銘を受けて、

一度に800フラン分の絵を買ってくれた。


​1906年には・・・​

画商のアンボロワーズ・ヴォーラルが、

バラ色の時代のほとんどの油絵を

金貨2000フランでまとめで買い取った。


こうしてピカソとフェルナンドには・・・

旅行に出る余裕ができてくる。


​まずふたりは、バルセロナに行った。​

ピカソは、フェルナンドを家族に紹介すると、

すぐに、ゴソルに向かった。

それは・・・

ラバの背に揺られてしか行く方法がない

アンドラとの国境近くの小さな村だった。


この1906年晴れ夏の旅行は、

ピカソの芸術の発展に大きな影響を及ぼした。


ピカソは・・・

カタルニアのロマネスクやゴシック美術に再び触れ、

エル・グレコに対する情熱を蘇らせた。


とはいえ、

スペインの出発直前、

ローマ時代以前のイベリア彫刻を発見したことは、

もっとも重大だったに違いない。


ガートルード・スタインの肖像の描き直した頭部や、

この時期の裸婦の多くに見られる

明確に輪郭づけられた彫刻的な特徴は、

その影響によると考えることができる。


ピカソは「主題」を考えるのを止めて、

人体や物の間の具体的な関係に基礎をおいた

絵画空間を編み出すことに専念した。

​それこそ、

キュビスムの土台をなすものであった。​



(参考資料:岩波・世界の巨匠ピカソより)
(写真撮影:ほしのきらり)

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最終更新日  2021.06.23 00:10:08
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