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テーマ:憲法議論(165)
カテゴリ:憲法
《12条は,配分原理のもとで自由を保障される国民がこれを濫用しないよう努めるよう求めている。ただし,12条にいう「公共の福祉のためにこれを利用する責任」は,基本権制約の論拠ではなく,私たちが社会的存在として行為するさい相互に適切な利害調整に努めるよう私たちに求めるフレーズである。利用責任は,国民に対して語られているとはいえ,法的拘束力をもたない》(阪本昌成『憲法2 基本権クラシック』(有信堂)[全訂第3版]、p. 62) 要するに、第12条は、国民に対する、法的拘束力のない単なる「努力要請」に過ぎないということである。それで結構なのだが、しばしば憲法は国家権力を縛るためのものだと言われるけれども、それでは第12条のような国民宛ての条文があることと矛盾してしまう。憲法は、独り国家だけでなく、第12条のように国民をも縛るものだということを忘れるべきではないだろう。 《13条の「……国民の権利については,公共の福祉に反しない限り,立法その他の国政の上で,最大の尊重を必要とする」というフレーズは,〈国家が基本権を制約するには,制約理由が憲法に根拠をもつこと,または,憲法上正当化されることを,要する〉と,国家に対して語っている。12条と13条とは,名宛先が異なっていることに留意されなければならない。13条にいう「公共の福祉」は,基本権の「制限の制限ルール」を国家に対して述べたものである。だからこそ,〈日本国憲法における基本権保障は,旧憲法での「法律の留保=形式的法治主義」を超える〉といえるのだ》(同) 阪本氏は、国会でも、参考人として、次のように述べている。 《公共の福祉というのは、私たちの基本的人権を乱用するなよというんじゃなくて、この基本権とこの基本権をうまく調整している立法だね、そういう立法をつくりなさいよということを議会に求めているんでありまして、私たちに対して、あなたは公共の福祉を侵害しなさんなということを言っているわけではないのです。公共の福祉は国家機関に向けられている。国民に対して公共の福祉を乱用するなよということを言っているのではないんです。これも憲法学界が公共の福祉に対する見方を誤りました。 公共の福祉は、人権を制限しようとするときに国家を制限するルールだ。私は、制限の制限ルールという言葉を使っております。公共の福祉は、制限する際の国家を制限するルールだ、国民を制限するルールではないと》(衆議院:憲法調査会基本的人権の保障に関する調査小委員会:平成14年4月11日) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.03.17 21:00:08
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