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テーマ:憲法改正(89)
カテゴリ:憲法
【西部邁案】 第20条 日本政府は国教を定めてはならない。また政党活動にかかわる宗教団体に特権を授けてはならない。何人も宗教団体が中心となって催す儀式に参加することを強制されない。 日本政府は宗教教育のごとき積極的な宗教活動をしてはならない。 (西部邁『わが憲法改正案』(ビジネス社)、p. 231)
《人身の安全を求める自由、居住・移転および職業を選択する自由、財産を私有する自由そして信教、言論、出版、結社、集会、学習および教育の表現活動にかかわる自由という四種の自由は、基本的自由として、すべての市民に保障される》(同、p. 229) のように<自由>がまとめて書かれているので第20条では省かれている。問題は、<国教>についてである。 《「いかなる宗教団体も、国からの特権を受け(てはならない)」ということについては、国教というかたちでの特権を禁止するにとどめるのがよいと思う》(同、p. 176) <国教>という<特権>だけは認められないということであるが、<国教>という言葉に若干引っ掛かるところもあり、もう少し議論が必要のようにも思われるが、取り敢えず先を急ぐ。 《私は、1年ほど前までは、現在における巨大宗教団体の実状にたいする批判の気持ちから、宗教団体から一切の特権を剥奪すべしと考えていたのだが、それでは日本における宗教活動を衰弱させることにもなりかねない。たとえば税法上における宗教団体への特権をどの程度にすべきかは法律に任せるしかないのではないか》(同、p. 176) 現行憲法でも<いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない>とあるのに、宗教法人は、非営利団体ということで原則非課税となっている。が、果たしてこれは国から特権を受けていることにはならないのか大いに疑問である。 続けて、西部氏は、 《宗教団体が「政治上の権力を行使してはならない」というのは間違いだと私は思う》(同) と「政教分離」に反対する。私も同意見である。 《いわゆる政教分離あるいは祭政分離は、その一致の弊害が顕著であったことにたいするアンチ・テーゼにすぎない。宗教は価値の問題に直接にかかわる。それゆえ、政治から宗教を排せよというのは、少なくとも思想的には、政治から価値を放逐せよというに等しい。私は良き祭政一致――ということは価値次元と利益次元の一致――こそが政治の理想型だとみなす立場から、宗教団体が政治に関与することを許容すべきだと考える》(同) 政治から宗教を排除しようとするのは唯物主義、すなわち、共産主義の遣り口である。自由主義の立場に立つ日本は、「政治と宗教の分離」、すなわち、「政治の場からの宗教の排除」に拘(こだわ)る必要はない。否、日本人の伝統的宗教観を政治から排除することは得るものよりも失うものの方が遥かに大きいだろうと思われる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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