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テーマ:憲法議論(165)
カテゴリ:憲法
敗戦後開かれた衆議院帝国憲法改正案委員会でのやり取りを見てみたい。 松澤兼人委員 18條の「いかなる宗教團體(だんたい)も、國から特權を受け」と云ふ風にあります、是(これ)は一般的な特權詰(つま)り法律や命令などに依(よ)つて受けて居る特權を指すのでなく、先程も御話のありました戰時中神社は宗教ではなかつたと思ふのでありますが、神社が國或(あるい)は地方公共團體から供進金を受けて居たと云ふやうな特別なる權利特權を受けることは出來ないと云ふ解釋(かいしゃく)をするのでありますが、其の通りで差支(さしつか)へございませぬですか 金森國務大臣 其の通りと思つて居ります 松澤(兼)委員 其の次に「いかなる宗教團體も…政治上の權力を行使してはならない。」と書いてあるのであります、是は外國によくありますやうに、國教と云ふやうな制度を我が國に於ては認めない、斯(こ)う云ふ趣旨の規定でありまして、寺院や或は神社關係(かんけい)者が、特定の政黨(せいとう)に加はり、政治上の權利を行使すると云ふことは差支へがないと了解するのでありますが如何(いかが)でございますか 金森國務大臣 宗教團體其のものが政黨に加はると云ふことがあり得るかどうかは遽(にわ)かに斷言出來ませぬけれども、政黨として其の關係者が政治上の行動をすると云ふことを禁止する趣旨ではございませぬ (1946(昭和21)年7月16日 第90回帝国議会 衆議院 帝国憲法改正案委員会) 今で言うなら、公明党と創価学会の関係がここで言われていることに該当するのだろう。が、当時の政府見解も問題なしということであったし、「政治と宗教の分離」条項は不要という立場の私も異論はない。 ここで注目すべきは<国教>に関する議論である。松澤委員は、<是は外國によくありますやうに、國教と云ふやうな制度を我が國に於ては認めない、斯う云ふ趣旨の規定>と言っているのは、戦前の「国家神道」は<国教>ではなかったという認識だからであろう。「国家神道」が<国教>であったという認識なら、わざわざ外国の話など持ち出す必要がないからである。 が、平凡社『百科事典マイペディア』の「国家神道」の項には、 《明治期以降とられた一種の国教制度》 と書かれているし、小学館『日本大百科全書(ニッポニカ)』も「国家神道」を、 《神道の一形態で、近代天皇制国家が政策的につくりだした事実上の国家宗教。神社神道を一元的に再編成し、皇室神道と結び付けた祭祀(さいし)中心の宗教である》 と解説している。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.03.29 21:00:08
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