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照千一隅(保守の精神)

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「照千一隅(しょうせんいちぐう)」(一隅を守り、千里を照らす)は伝教大師・最澄の言葉。本を読み、考えたことをこのブログに書いて参ります。ご意見、ご感想など御座いましたら是非お寄せください。

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2022.04.24
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テーマ:憲法議論(165)
カテゴリ:憲法

「プログラム規定説」の論拠は、大きくは3つあるとされる。

(1)日本国憲法が予定している経済体制は基本的には資本主義体制であり、そこでは、個人の生活維持は自己責任においてなされることが期待されているのであって、労働の意思と能力のある者には労働の機会が与えられるという社会主義体制で生存権が国に対する具体的権利になりうるのと根本的に異なることである。(樋口陽一・佐藤幸治・中村睦夫・浦部法穂『注釈日本国憲法 上巻』(青林書院新社)、p. 571)

 <労働の意思と能力のある者には労働の機会が与えられるという社会主義体制>とは「空想」なのであって、このような体制は現実には存在しない。よって、日本が資本主義体制だから<プログラム規定>になっているというよりも、そもそも第25条が現実から乖離(かいり)した空想的社会主義思想の産物であり、現実的には<プログラム規定>となるのもやむを得ないと言うべきではないか。

① 憲法は資本主義経済体制を前提としており、資本主義体制のもとでは、国は経済の全過程を掌握しえず、国民各人の生存配慮要求に対応して具体的に給付を行いうる経済的地位にない。(浦部法穂『全訂 憲法学教室』(日本評論社)2000、p. 225

 1991年にソ連邦が崩壊した後も、性懲りもなくこのようなことを言い続けるのは本当にどうかしている。20世紀の社会主義国家樹立の壮大な実験は蹉跌(さてつ)したのである。社会主義は空想の産物でしかなかったことが明らかとなった。にもかかわらず、社会主義の側に立って資本主義を批判的に語るのは、マルクス主義者の「為にする議論」と言わざるを得ない。

《生存権は、そもそも、資本主義のもとでその矛盾から生ずる貧困等の問題が放置できないものとなったために、その保障が必要になったのであり、すぐれて資本主義的な権利である。だから、①の理由は根本的にまちがっている》(同)

 資本主義社会における「安全網」(safety net)と、社会主義における権利<生存権>を混同してはならない。<生存権>は個人が有する社会主義的権利であるが、「安全網」は自由主義社会が秩序維持のために用意するものであって個人的権利ではない。

②生存権を具体的に実現するためには予算を必要とするが、予算をどのように配分するかは国の財政政策の問題である(同)

《②の理由は、生存権の権利性を否定してはじめて成り立つものである。生存権の権利性を承認するなら、下位法である予算によって憲法上の権利の実現が制約されるという論理は成り立ちえない。したがって、この点は、プログラム規定説からの帰結であって、その論拠となりうるものではない》(同)

 ②の意味は、「無い袖は振れぬ」ということであって、いくら第25条で<生存権>を謳(うた)ったとしても、単独で優先的に予算を配分できる話ではなく、他の予算との兼ね合いでしかない、と言う意味で<プログラム規定>だということである。






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Last updated  2022.04.24 21:00:07
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