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テーマ:憲法議論(165)
カテゴリ:憲法
第1條(天皇の地位・國民主權) 天皇は、日本國の象徵であり日本國民統合の象徵であって、この地位は、主權の存する日本國民の總意に基く。 第2條(皇位の繼承) 皇位は、世襲のものであって、國會の議決した皇室典範の定めるところにより、これを繼承する。 とあるが、第1條と第2條の間には明らかな論理的矛盾がある。すなはち第1條には、「この地位は、主權の存する日本國民の總意に基く」とあるが、第2條には、「皇位は、世襲のものであって」とあり、もし「地位」と「皇位」を同じものとすれば、「主權の存する日本國民の總意に基く」筈のものが、「世襲される」といふのは可笑(おか)しい。世襲は生物學的條件以外の條件なき繼承であり、「國民の總意に基く」も「基かぬ」もないのである。(「問題提起(日本國憲法)」:『三島由紀夫全集34』(新潮社)、p. 320) そもそも天皇は日本国民の総意に基づいて存在しているのではない。天皇は、伝統的に存在しているのである。 叉、もしかりに一步ゆづつて、「主權の存する日本國民の總意」なるものを、1代限りでなく、各人累代世襲の總意をみとめるときは、「世襲」の話との矛盾は大部分除かれるけれども、個人の自由意志を超越したそのやうな意志に主權が存するならば、それはそもそも近代的個人主義の上に成り立つ民主主義と矛盾するであらう。(同) 今を生きる「生者」だけでなく、昔を生きた「死者」をも含めた「国民」の総意ということであれば、それは「伝統」に近似したものとなるだろう。が、このような考え方は、民主主義一般の考え方とは異なり、普通に考えれば矛盾だろう。天皇とはどのような存在なのかを知らぬ者たちが、権力無き天皇の権力を抑え込もうとして書き記した的外れの条文が第1条なのであるから、整合性云々は二の次、三の次であっても仕方のないことである。 又、もし「地位」と「皇位」を同じものとせず、「地位」は國民の總意に基づくが、「皇位」は世襲だとするならば、「象徵としての地位」と「皇位」とを別の槪念とせねばならぬ。それならば、世襲の「皇位」についた新らしい天皇は、即位のたびに、主権者たる「国民の総意」の査察を受けて、その都度、「象徴としての地位」を認められるか否か、再検討されねばならぬ。しかもその再検討は、そもそも天皇制自體(じたい)の再検討と等しいから、ここで新天皇が「象徴としての地位」を否定されれば、必然的に第2條の「世襲」は無意味になる。いはば天皇家は、お花の師匠や能役者の家と同格になる危険に、たえずさらされてゐることになる。(同、pp. 320-321) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.04.30 21:00:07
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