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カテゴリ:ラテンアメリカ・スペイン・スペイン語
昨日の続きです。
モレーリアからグァナファトに向かうバスは、確か途中湖を縦断する道を通ったような記憶があります。本当は、メキシコ市からグァナファトに向かう予定だったのに、間違えてグァダラハラに向かう切符を買ってしまったため、大幅に予定変更になってしまったのは、昨日の記事に書いたとおりです。 こちらがグァナファトです。今は世界遺産に指定されています。記録を調べたところ、何と1988年に世界遺産に指定されているのですが、その当時はそんなことはまったく知りませんでした。 何か地下に入っていく道がありますが、これはグァナファト名物の地下道です。 地下道といっても、完全地下ではなく、ところどころ上が吹き抜けになっている半地下です。歩道もあるので人間が歩ける部分もある。 道が複雑怪奇で、かなり迷いそうだった記憶があります。 上に、何だか像が建っています。独立戦争中の英雄、ピピラの像です。何とかと煙は高いところが好き、と言いますが、こういう像を見ると、すぐ登っていってしまう私でした。でも、歩いて登ったのか、バスか何かで行ったのかは、記憶がありません。当時はまだ山登りはしていなかったので、それほど脚力はなかったのですが、でも、歩いて登ったんだろうなあ。 先のピピラ像付近から撮影した町並みです。 この町は見所の多いところで、他にも劇場や美術館などが目白押し。しかし、中でも一番強烈なのは、ミイラ博物館でしょう。この町では、墓地の面積が限られていて、死後数年間は無料で埋葬されるけれど、それを過ぎると墓地使用料を払えない仏様は墓から掘り出されるのだそうです。 グァナファトは、昨日紹介したミチョアカン州の北側に位置し、それほど距離は離れていないのですが(モレーリアからバスで2~3時間)、ミチョアカンより乾燥していて、ただ埋葬しておくだけでも遺体は自然とミイラになるのだそうです。 掘り起こされた遺体のうち、状態の悪いものは火葬され、状態のよいものは博物館に送られるのです。その博物館がミイラ博物館。 当時使ったガイドブック(地球の歩き方)を見ると、手書きで入場料を書いているので、多分入館したのではないかと思うのですが、記憶がまったくありません。写真も1枚もない。見学したら、これだけキョーレツな展示が記憶に残っていないはずがないと思うのですが・・・・・。入り口でビビッて引き返したか、あまりのキョーレツさ故、記憶から消去してしまったのかなあ。 グァナファトのミイラ博物館(かなり、閲覧注意です) メキシコ人は死とか死体を笑いのタネにする風習があり、そういう国だからこそ、こういう博物館が成り立つのでしょう。「死後は自分を展示して欲しい」という希望者もいるようです。 グァナファトは、壁画家ダビド・アルファロ・シケイロスの出身地であり、芸術の町としても知られています。この壁画は、独立戦争中、スペイン軍の要塞だったアロンティガ・グラナディス(現在は博物館)に描かれた、独立戦争をテーマにした壁画です。 グァナファトの後、いったんメキシコ市に戻り、メキシコ市近郊のトルーカ(バスで片道1時間くらい)に1泊2日で行ったのですが、このときの写真は、どうもあまりいいものがありません。今写真を見ると、トルーカでもやっはり雨に当たったようです。 で、その後みたびメキシコ市に戻ってきました。 多分、居候させていただいた従姉妹の家のすぐ近くのはずです。フォルクスワーゲン・ビートル(いわゆるカブトムシ)がたくさん走っています。当時、本家ドイツではもうビートルの生産は終了していましたが、メキシコではまだ生産中で、街中には、ビートルばっかり走っていたのです。特に流しのタクシーは大半がビートルでした。これは、2度目(1996年)のメキシコ旅行も、3度目(2002年)すらも同様でした。その後2003年にメキシコでもビートルの生産が終了したことから、さすがに現在は相当減っただろうと思います。その後メキシコに行っていないので、確認はしていないですが。とはいえ、日本に比べたら古い車が圧倒的に多いお国柄なので、11年前まで製造していたビートルは、まだまだ相当数が現役で走っているはずです。 メキシコ市の写真は、1988年よりも、96年と2002年のほうが、いい写真が多いのですが、このときしか行っていない場所があります。それは、UNAM(メキシコ国立自治大学) メキシコオリンピックのスタジアムです。描かれているのは、ディエゴ・リベラ作の壁画です。 大学本部棟横の壁画。シケイロス作による「手と鉛筆」。シケイロスは、ある意味ではメキシコ的矛盾の極致のような人物です。壁画家であり、かつメキシコ共産党の党員でもありました。メキシコ共産党は、シケイロスの存命中はずっと非合法政党で、彼も生涯に何度か逮捕され、国外追放されていた時期もあります。それなのに、国立自治大学やその他の政府機関の建物に多くの壁画制作を依頼されているのです。 中央図書館、これはシケイロスではなく、フアン・オゴルマン作の壁画です。 フランシスコ・エッペンス・ヘルゲラ作「生と死と混血と、四つの要素」医学部の校舎に描かれているようです。 シケイロスの「民衆から大学へ、大学から民衆へ」しかし、見てのとおり補修中でした。 このUNAMも、世界遺産に指定されています。 結局、このときメキシコには8月下旬から9月半ばまで、20日以上滞在していました。帰りは、メキシコ市からLAまではデルタ航空、LAからは大韓航空で、何故かホノルルに途中寄航する便でした。大圏コースの最短距離に比べると、大変な大回りです。とにかくとても時間がかかったことを覚えています。 88年のメキシコ旅行の写真は、ここまでです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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