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『犬の鼻先におなら』

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2006年10月06日
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「“演”文一致」。春風駘蕩の味わい。

 笠智衆といえば「男はつらいよ」シリーズの「御前さま」の役で知られた俳優ですね。
 小津安二郎の諸作品の重要な役を演じた事でも知られています。(特に『東京物語』の老人役)
 そのためヴィム・ヴェンダースが小津安二郎に捧げたドキュメンタリー映画『東京画』でもインタビューされています。
 まさに日本の「父親」像の元型を演じた人物と言っていいでしょう。

 なんとも言えない“演技”が、かえってファニーでプリティな老俳優(^-^)。

 本書はその笠智衆本人による回顧録。

 文体、内容ともにあの俳優・笠智衆の演技を思わせる淡々としたものでした。
 特別な大事件、大波乱もなく(本当はあったのかもしれないが)、緩やか、伸びやかに少年、青年期の思い出や、有名監督とのエピソードが綴られています。

 笠智衆氏(ちなみに本名です)は、特に強く俳優を希望してなったわけではないとの事(大正14年、冷やかしで松竹キネマの俳優研究所に応募したのがきっかけp44後、十年あまり鳴かず飛ばずの大部屋俳優)。「やはり」という感想と、と同時に、何が天職かわからないものだな、と感じました。
 p68「家内は『結局、お父さん(笠智衆)は、役者か、お坊さんにしかなれない人だったのよ』と言って笑う。自分でも、たしかに、そうだったろうと思うのである。」

 俳優“笠智衆”がいわゆる“名演技”の人であったかどうかは議論の分かれる所です。ダイコンという評判は当時からあったようですし、御当人自身、いわゆる“名優”“名演技”と無縁である、と考えていたようです(この本でも随所に、あの映画、あのシーンは拙かった、という事が書かれています)。

 「俺は俳優になりたいんだ!!」という強い願望と無縁なら「これが俺の演技だ!!」という力みとも無縁の人。
 どうも、これ、笠智衆氏が浄土真宗のお寺の息子さんであった事と関係があるのではないでしょうか。いわゆる自己への執着を離れた「他力本願」ですね。

 こういう枯淡の境地の演技は、技術的なものというより、「人間・笠智衆の人格の一部が、うっすらフィルムの上に凝固したもの」と言っても良いかと思います。

 興味を引かれた点。

 p93「ただ戦後の昭和二十八年、やはり小津先生の『東京物語』で、東山千栄子さんと老夫婦役をやったときは、年齢のバランスを、それらしく見せるのに苦心した。東山さんは、ほぼ実年齢そのままの六十五歳ぐらいの役だったが、私のほうは、まだ五十にならないのに、役の年齢は七十二歳だった。」
 あの名作『東京物語』で、当時、笠智衆氏は50歳になっていなかった。

 p89「『笠さん、老けをやったことがあるかい。いっぺん、やってみるか』小津先生に、そう声を掛けられたのは『一人息子』のときである。私が、三十代に入ったばかりのときだったが、監督の注文とあれば、いやもおうもなかった。」この時の演技は随分好評だったようです。
 笠智衆氏は三十代から老け役。生涯、一老人。なんか凄いな。


 小津監督は軍の報道部映画班員としてシンガポール滞在中終戦を迎え、英軍の捕虜となった事がある(p117)。待遇は良かったそうです。


 p87「(小津監督『長屋紳士録』で笠智衆氏が易者の役をやり)、筆を持った手を向こうに伸ばすと、自然と頭が下がる。ところが、そこで頭を下げるなというのが先生(小津)の注文なのである。その通りに試してみるのだが、どうにも不自然で、何度やってもうまくいかない。すると先生が笑い出しながら、こう言った。『笠さん、君の演技より、ぼくの構図のほうが大事なんだ。言う通りにやってくれよ』。」
 p88「小津先生の場合は、頭の中に画面の構図がピシッと決まっていて、役者を、その型の中にはめ込んでいくやり方だったように思う。」

 で、
p109「あるとき、撮影所の図書館にもぐり込んでいたら、そこに偶然、城戸所長がフラッと入ってきた。すると城戸さんは、『笠君か。君は小津君にかわいがられすぎて、妙な風になったね』、そう言い捨てると、プイと出て行ってしまったのだった。城戸所長の言葉が、どういうことを意味しているのか、当時の私は、理解できずに苦しんだ。今も依然、ナゾである。ただ強いて考えれば、小津先生の厳密な写真づくりのなかに、あまりにもピシッとはめ込まれすぎた私に、城戸さんは一種のいら立ちのような気持ちを持っていたのかも知れない。」

 笠智衆のファニーさの根源には、この小津メソッドの存在があるのかも知れません。



 『象を食った連中』『花籠の歌』どっかでやらないかな。また見たいな(日本の古い映画で名作はいっぱいあるのになぁ)。

俳優になろうか





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最終更新日  2006年10月06日 06時22分35秒
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