1067507 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

『犬の鼻先におなら』

『犬の鼻先におなら』

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

プロフィール

千鳥道行

千鳥道行

カレンダー

カテゴリ

お気に入りブログ

ますび日記 須藤真澄さん
おせんの江戸日誌 鯉口のおせんさん
スポクラ依存症の映… gymjankieさん
アンティークな琥珀堂 マダム・ゴージャスさん

コメント新着

 植園版@ なにいってんだおめぇ オッッッッッッッスァン、粗末なえのきし…
 JamesDup@ BLADENET Free Download game hacked MAGIX Best Service Engine UNLOCKED v2.1…
 ひろこ@ Re:池田晶子・陸田真志『死と生きる 獄中哲学対話』を読む。その一(08/20) 殺人犯と言う犯罪は、特別な人間が犯す犯…
 山川豊@ Re:パウロ・コエーリョ『ベロニカは死ぬことにした』を読んだ(08/29) 筆者さんは他人の目や社会通念を一切考え…
 http://buycialisonla.com/@ Re:谷岡ヤスジ『谷岡ヤスジ傑作選 天才の証明』を読む(05/04) cialis cheap pricescialis and grapfruit…

フリーページ

ニューストピックス

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2010年09月23日
XML
(その2)の続き。

 □「方法としてのアジア」(『思想史の方法と対象-日本と西欧』1961年発表)

 p119「かつてのコミュニストが戦争中に転向して、もっとノン・コミュニストよりも積極的に戦争に協力したという側面をわりに多く見ているわけです。」
 竹内氏が共産主義に距離をおいていた理由。

 p119「私は戦後に一つの仮説を出した。後進国における近代化の過程に二つ以上の型があるのではないか。日本の明治維新後の近代化というものは、非常に目覚しいものがありまして、東洋諸国の遅れた、植民地化された国の解放運動を励ましたわけです。それが巧くいっていれば唯一の模範になりえたのであるが、結果として最後に、どんでん返しの失敗をやった。その失敗の点から振り返ってみますと、日本の近代化は一つの型ではあるけれども、これだけが東洋諸国の、あるいは後進国の近代化の唯一絶対の道じゃなくて、ほかに多様な可能性があり、道があるのではないか、と考えたのです。」
 鋭い。しかし悲しい。日本よりもっと最悪の形での“近代化”の可能性に何故、思い至らなかったのか。

 p120「日本と中国との近代化の型の違いはどこにあるか。」
 皮肉なものです。竹内氏は当然「日本にマイナスの評価、中国にプラスの評価」なのですが、今では、中国という国家は、文化大革命やらチベット人大虐殺やらと常に大虐殺を繰り返しながら、強大な軍事力で周辺諸国を恫喝し続けている、人権無視の一党独裁国家である事が明確になっています(これらは一党独裁国家である事からの原理的、必然的問題)。無論竹内氏はこの時点でその後に起こる事実について知る由もない訳ですが、しかし、当時から一党独裁国家であるのですから、原理的に考えればわかりそうなものです。
 この設問(現代では竹内氏の思惑とは逆の方向性を持つ問いになったのですが)、やはり現在でも有効な問い掛けです。「何故、日本は曲がりなりにも民主主義国家となり、中国は一党独裁国家となったか」ただの偶然なのか(「日本憎し」の人ならば、インドでも台湾でも構いませんが)。

 p122当時(1919年)の中国の状況「中国というのは何であるか、国であるか何であるか、国際連盟で問題になったが、誰も答えられなかったという有名な話がありますが、それ程近代国家としての統一性をもっていない。」
 大小様々な軍閥がお互いに殺し合いを行っていたのが当時の中国でした(こういう極基礎的な事を何故か(嘲)日教組のセンセーは教えませんね)。「中国vs日本軍」という単純な図式は成立しません(だからこそ、「国共合作」という事が大事件だったのだ)。

 p133日本には米国に負けたという実感はあるが、中国に負けたという実感が少ない。それは何故か「もう一つ、中国に対する侮蔑感があるでしょうね。負けるはずがないと考える。武力的にはたしかにそうです。当時の軍事力の比較では、はるかに日本が強い。アメリカには圧倒的な軍事力があったから負けた、という事に納得する。だから、竹槍じゃまずかったという反省はできるけれども、それじゃあ精神力はどうなのか。戦争中は精神力で勝つと言っておきながら、負けたらいっぺんにひっくり返ってしまって、物質力だけで考えるのはまずいのじゃないかな。むしろ今こそ、あのころの精神力説を復活すべきじゃないかと思う。中国の場合について言うと、精神力で勝った。つまり日本に勝つ理論があった。(略)毛沢東の『持久戦論』という本を見ると判る」「日本には戦勝の理論的な予見がなかった。負けるということを念頭に置くことを回避していた。」
 これは確かに鋭い。一体日本軍は中国でどのような形で勝つ事(負ける事)を想定していたのか。長期的な戦略や理論があったんでしょうか。考えていたのは、石原莞爾ぐらいじゃなかったでしょうか。(「下級兵隊は優秀なのに、上に行くほど無能になる、不思議な軍隊、日本軍」とはあるソ連軍将校の言だとか)
 確かに、この点において日本は中国に負けていたのです。
 そして、今も全然変わってないよねぇ~。常に主体的に行動しているのは一党独裁国家中国。日本は彼等が起こした行動に“反応”を示すだけ。

 p137「西洋的な優れた文化価値を、より大規模に実現するために、西洋をもういちど東洋によって包み直す、逆に西洋自身をこちらから変革する、この文化的な巻き返し、あるいは価値の上の巻き返しによって普遍性をつくり出す。東洋の力が西洋の生み出した普遍的な価値をより高めるために西洋を変革する。」
 これがつまり「方法としてのアジア」という表題の意味。この一文を読んだだけで『近代の超克』は全部読んだ振りが出来ますね(また言った)。
 しかし、現在この文を読み、竹内氏の心情を思えば、悲しくなりまた気が滅入りますね。今現在一党独裁国家中国が行っている事は、「西洋の優れた文化価値(人権思想)」の裏返しですから。或いは、嘗ての西洋の人種差別主義と植民地侵略思想の一週遅れた拡大模倣犯とでも言うか。
 ただ、「方法としてのアジア」という竹内氏の“夢想”が、全く、無意味になったとは思えません。一党独裁国家中国が倒れた時、再び現実的なテーゼとして日の目を見る事もあるでしょう。


 □「岡倉天心」

 p147「東京美術学校は国粋の方針を採用したが、その少し前に開校した東京音楽学校は、まったく反対に、洋楽を基礎とした。この方針を決定したものは、初代校長の伊沢修二である。」「その伊沢が、天心とは性情がまったく反対であったことは興味深い。性情ばかりでなく、思想も相反した。伊沢は徹底した合理主義者であり、科学の信奉者である。その二人が美術と音楽にわかれた。これは草創期の日本の芸術教育にとって劇的な事件だった。」
 これは一寸面白い。音楽の“合理性”なんていう事も考えてしまいます(cfバロック音楽)。

 □「北一輝」

 p156彼の考えた社会主義とその実現方法(クーデター)について「いかにも北のプランは幼稚である。だが幼稚であればこそ実行されたのである。少なくとも実行の企てがなされたのである。もし北が、彼の唾棄する『翻訳蚊士』たることに甘んじたら、もっと幼稚でない文章が書けたかも知れないのである。その代わり共産党のテーゼのように実行されなかったろう。」「かりに、もし共産党のテーゼが実行に移されたとした場合、それが『日本改造法案』以上にみじめな茶番におわらぬという保証はどこにもないのである。」
 「私は、無能な社会主義者よりは有能なファシストを遺産としてもつことを誇りたく思う。弱い味方よりは強い敵が頼りになるものだ。」
 カッコいいぞ、竹内好先生(無論この言葉「批判的継承」という意味よ)。

 p157「『共産主義者が戦争誘発を企つべきことは彼らがその主義に忠なる限り当為為すべきことの一つであろうとは存じますが、その確証と見るべきものは存じませんでした。御新著の着眼の一点は茲に存するものの如く・・・ドイツその他の国でも、日本でも、嘗てナチ、ファッショ運動に狂奔したものが、今日赤旗を担い歩く事実は最も顕著であり・・・』という小泉信三の『書評』を付載した三田村の『戦争と共産主義』という本に(略)」
 「(略)これは竹山道雄が『昭和の精神史』に引用している戦争中の近衛文麿の『之を右翼と云うも可、左翼と云うも可なり。所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義なり』という『高松宮への上奏文』とまったくおなじであって(略)」
 ファシズムもコミュニズムも思想の“構造”は一緒(ヒトラー自身『我が闘争』で「私は最も多くの事をボルシェビキから学んだ」と述べています。「階級の敵」≒「民族の敵」。構造主義的分析をやれば面白い)。今でも「所謂右翼」で同じパターンの人も結構いますね。

 
 □「中江丑吉著『中国古代政治思想』」

 p158「学術書、しかも高度の学的緻密さをもった専門書を、専門外の立場から批評することは、危険である。しかし一方からいえば、その危険を冒してまでも、批評---というより、勝手な感想を述べたくなるような、一般的問題性を含む書物でなければ、学術書としても価値が低い、ということも成り立つかもしれない。」
 うむ。


 □「わが石橋発見」

 p163石橋湛山の『所謂対支二十一個条要求の歴史と将来』が引用されている。以下の文。
 「お互いに尊敬してこそ、初めて真の親善はある。而して苟も支那国民を尊敬すると云うのならば、かの二十一個条要求の如きは、勿論提出すべき性質のものではなく、(略)」
 「支那」という言葉が差別用語でない事がわかります。だって「支那」国民を尊敬して、対支二十一個条要求に反対している人が、その当の文で「支那」という語を使っているのですから。


 □「大川周明のアジア研究」

 大川周明のアジア、とりわけイスラム研究を高く評価している竹内氏。公平、客観的に学問研究を評価しようという姿勢は立派だと思います。

 p171日本の膨大な学術研究書の行方「同じ満鉄系でも大連図書館とか、満鉄調査課のようなものは、中国側に接収されて、いま活用されているでしょうから、それはよろしいんです。」
 あらあら、竹内先生、それは法的にどうなんでしょう。戦勝国は敗戦国の財産に何をやっても良いという訳じゃないんですけどねぇ。

 p181「(大川周明の)『日本精神研究』に扱われているのは、横井小楠、佐藤真淵、これなどは当然でありましょうが、その次が石田梅巌というのはおもしろい。それから平野国臣、あとは宮本武蔵、織田信長、上杉謙信、源頼朝、こういうのが大川の選んだ典型人物なんですね。一風変わった、独特の史眼だと思います。」
 こりゃ変わってる、大川周明。『日本精神研究』気になる(ところで皆さん「大川周明ごっこ」ってしなかった?。前席の友人の頭をいきなり叩いて「大東亜の論客、大川周明です!!」って叫ぶという)


 (その4)に続く。


読んでない。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2010年09月29日 06時24分41秒
コメント(0) | コメントを書く
[φ(..;)来た見た書いた] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.