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2010年09月24日
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(その1)の続き。

 □「近代の超克」(『近代日本思想史講座』第七巻「近代化と伝統」1959年発表)

 実はこの本読むのは二度目。学生時代読んだ時「そもそもここで批判されている座談会『近代の超克』を読まないと、その座談会の批判、分析であるこの本はちゃんと理解できないだろうな。読まなきゃな」と思ったのを、思い出しました。
 でも、未だに読んでいない(泣)。
 一体、元の座談会を読んだ人はどれ程いるのでしょうか(笑)。

 一.問題のあつかい方について

 「近代の超克」とは『文学界』昭和十七年十月号に掲載された座談会の題です。
 本書に引用された小田切秀雄による「近代の超克」の総括は以下の文。
 「『文明開化』と官僚主義への批判という形で日本浪漫派が行ってきた資本主義文明批判はこの論議によってヨリ広い視野の中にひきだされ、さらに日本の近代社会とその生活・文明・芸術等においての近代的な側面のいびつな展開とそれの伴った弱点がさまざまな角度から論難攻撃され、その結果として軍国主義的な天皇制国家の擁護・理論付づけないしそれの戦争体制の容認・服従ということが思想的カンパニアとして行われたのである。」。

 p53「『近代の超克』というのは、戦争中の日本の知識人をとらえた流行語の一つであった。」
 p54「『近代の超克』は戦争とファシズムのイデオロギイ(ママ)を代表するものとして、それに言及するときは『悪名高き』という形容詞を冠せるのがほとんど慣習化されているほど、戦後は悪玉扱いされているが、いま読み返してみると、これがどうしてそれほどの暴威をふるったか、不思議に思われるほど思想的には無内容である。」
 実は、「一党独裁マンセー」のサヨクが過去書いた本も、呆れるほど無内容で出鱈目だったりします(北朝鮮賛美の大江健三郎『厳粛な綱渡り』参照(笑)。ただ、「近代の超克」と違って、ズブズブ仲間内で誤魔化し続け、そ知らぬ顔で“延命”している所が違います。
 では、何故これ程サヨクが論壇において権力を握るようになったか。本当に無内容なだけだったら、こうした事態は起こらなかった事と思います。
 
 p61「私は、佐古のいう『戦後の解放』にも疑問を感じるが、小田切のように『近代の超克』が『軍国主義体制』と密着不可分であるとも考えない。もし密着不可分なら、それは思想の名に価しないものであって、仁奈(真)のような知識青年を動かすはずはなかったからである。」「いま必要なのは事実判断である。まず事実について、復権論者と撲滅論者がカードを出し合うのが先決要件である。」
 ここも、現在のサヨク批判と読み替え可能ですね。
 
 二.「超克」伝説の実体

 p66「近代の超克」座談会の出席者の構成「そこには三つの思想要素、あるいは系譜が組み合わされていることがわかる。それらをかりに担い手の名で呼べば、『文学界』グループと『日本ロマン派』と『京都学派』ということになる。」
 p68「近代の超克」座談会主催者、河上の「結語」より、座談会が企てられた意図の考察「第一に太平洋戦争の開始は、河上たちにとってショックであり、『知的戦慄』であったことが述べられている。その『知的戦慄』の内容は『西欧知性』と『日本人の血』の間の『相克』ということで説明されている。第二に、『新しき日本精神の秩序』が『国民の大部分』の間でただスローガンを『斉唱』するだけに止まっている『無気力を打破』したいという意欲が出ている。第三にそのために専門知識人の間の『文化各部門の孤立』という壁を突き破らねばならぬ、という実践要求が出ている。」
 太平洋戦争は「知的戦慄」であった。

 p69しかし座談会の結果は「この期待は結果的には裏切られた。『超克』すべき『近代』の理解からして各人まちまちであって、その調整は討論の最後までついていない。(略)結論らしいものは何もないままに散会している。」

 三.「十二月八日」の意味 

 p79「『支那事変』とよばれる戦争状態が、中国に対する侵略戦争であることは、『文学界』同人をふくめて、当時の知識人の間のほぼ通念であった。しかし、その認識の論理は、民族的使命感の一支柱である『生命線』論の実感的な強さに対抗できるだけ強くなかった。」
 (なお、この文の後に以下の一文が続きます。「一方侵略戦争を原則的に否定する共産主義は、原則に固執して状況適応の柔軟さを欠いていた。」「一方侵略戦争を原則的に否定する共産主義」。ふ~ん「“原則的”に」かぁ)

 p82「亀井(勝一郎)は、戦争一般という考え方を排除し、戦争から対中国(および対アジア)侵略戦争の側面を取り出して、その側面、あるいは部分についてだけ責任を負おうというのである。私はこの点だけについていえば、亀井の考え方を支持したい。大東亜戦争は、植民地侵略戦争であると同時に、対帝国主義の戦争でもあった。この二つの側面は、事実上一体化されていたが、論理上は区別されなければならない。日本はアメリカやイギリスを侵略しようと意図したのではなかった。オランダから植民地を奪ったが、オランダ本国を奪おうとしたのではなかった。帝国主義によって帝国主義を倒すことは出来ないが、さりとて帝国主義によって帝国主義を裁くことも出来ない。」
 上記の文さえ読んどけば、とりあえず竹内好の『近代の超克』は読んだ振りが出来ます(笑)。
 (なお、驚くべき事に、北朝鮮マンセーの故小田実でさえも、この説は認めていたといいます) 

 で、次の一文に続く「それを裁くには何らかの普遍的価値を基準にしなければならぬ(たとえば東京裁判での自由、正義、人道)が、そのような普遍価値は亀井の論理からは承認されない。なぜならば、東と西を包括するものとしての普遍的価値は伝統と切られており、伝統から切られたものは『文明開化』であって『原典』にはなりえないからである。」竹内氏の文脈からはズレますが、普遍的価値の問題に。つまり「自由」だの「人権」だのは、果たして「普遍的価値」なのか、という大問題。

 p83「戦争一般を原理的に否定するものは絶対平和主義しかない。しかし、絶対平和主義は、具体的状況への適応能力に欠けている。」
 そりゃ、そうだ。で、「絶対平和主義」の皆さんはどうする?

 p84「戦争に反対する立場は、どの段階でのどの性質の戦争に反対するかによって評価が決まる。『十二月八日』の開戦を否とするもののなかには、反共的立場での反対もあり、だから太平洋戦争は共産党の謀略だという説もあったくらいである。(略)だから太平洋戦争だけで全戦争の原因結果を考えることは出来ないし、戦争責任を論ずることも出来ない。ただ、結果論的には総括規定をすることは出来るし、それは必要である。その場合、戦争を理論づけたことによってその知的活動を無条件に非難されるのは正しくないと思う。」
 これもサヨク批評に変換できる思考構造。例えば、この一文の「戦争」と言う語を、「一党独裁国家」という語に置き換えて読んでみる。

 四.総力戦の思想

 p90「戦争吟(戦争を肯定的に吟じた当時の詩歌)を、戦争吟であるために否定するのは、民衆の生活を否定することである。戦争吟を認め、その戦争吟が過去の戦争観念によって現に進行中の戦争の本質(帝国主義戦争という観念でない)を見ることから逃避している態度をせめ、戦争吟を総力戦にふさわしい戦争吟たらしめることに手を貸し、そのことを通して戦争の性質そのものを変えていこうと決意するところに抵抗の契機が成り立つのである。『侵略戦争反対』を便所に落書きするとか、『英機を倒せ』というシャレをはやらせることは、抵抗ではなくて、むしろ抵抗の解体である。思想を風俗の次元にひきおろすことである。」
 「思想を風俗の次元に引き下ろす」かぁ。“平和運動家”=“風俗”産業従事者(笑)。masturbationを手伝ってくれる(オイ、その「風俗」じゃねえだろう)。

 p92京都学派による「世界史的立場と日本」連続三回の座談会(42年二月号『中央公論』)より。
 『ヨーロッパに対抗するという日本乃至東亜の意識には、実は同時に日本自体の内部に於て近世的な日本、つまり明治大正の日本を否定しようという意識が一緒になっているね。』という『近代の超克』論の一つの原型もここに出てくる。」
 そうなのか、明治大正から否定しちゃうのか。これは一寸凄い。
 
 p95「京都学派の教義学が『戦争の侵略的性格をおおいかくす』ことができると考えるのは過大評価である。彼らは戦争とファシズムのイデオロギイ(ママ)を作り出したのではない。公の思想を祖述しただけである。」
 これもサヨク批評に変換できる思考構造。一党独裁国家賛美のサヨクの厚顔無恥な鬼畜ぶりを叩いているだけじゃ駄目なんだね。

 五.「日本ロマン派」の役割

 p102小田切秀雄のファシズム観
 「彼(小田切)は『東京新聞』での臼井・加藤論争にもふれ、『近代は人間を救いえない』という臼井吉見に反対して『近代化は必要である』とする加藤周一に賛成している。『伝統』や『共同体』をふりかざすことは『ファシズムの温床である前近代性の保護育成という結果をもたらしかねない』から『現代の日本には加藤周一氏のいうように『伝統論』より、人権宣言のほうが必要だ』という論である。」
 「ファシズムの温床である前近代性」??一瞬、小田切氏はバカじゃないか、と(失礼な。当時はフロムその他の著作は知られていなかったのだろう)。無論、実際は逆。前近代的な共同体が崩れて、集団から規定されず、さりとて自立もしていない、不安定な“大衆(マッス)”が出現し、何かの社会的危機をきっかけに、どっと“自由からの逃走”を始めてしまう、と。これが正解。(江戸時代にファシズムって考えられないでしょ。専制君主や暴君とファシズムは全然違います)。 

 p104「橋川(文三)は『日本ロマン派』の構成要素として、マルクス主義と国学とドイツ・ロマン派をあげる。」
 プロレタリア運動とその転向という形での「構成要素」という事らしい。

 p106「『文学界』が次第に『日本ロマン派』色にぬられていく経緯について、河上徹太郎は戦後に、一種の交替史観から『最近の思想界の動きを見ると、非常に大雑把な言い方だが、大正期以後大体に於いて自由主義を打倒したのが左翼であるとすれば、此の左翼にとって代わったのが主知主義であり、更に此の主知主義を威圧したのが日本主義だと言う風に概括』し(略)」。
 
 p112「今日の日本は『神話』が支配していることに問題があるのではなくて、『神話』を克服できなかったエセ知性が『自力』でなく復権していることに問題があるのである。」
 何も変わっていない。結局別の、しかももっと低俗な「神話」(一党独裁マンセーのサヨク思想)に変わっただけ。


 (その3)に続く。


座談会の料理に蟹を出すと大変な事に。





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最終更新日  2010年09月29日 07時12分39秒
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