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テーマ:診察室の窓(72)
カテゴリ:診療室の窓
先日、「ある苦悩」と題して書いたブログの高齢者の方の実子が、お昼休みの治療所に訪ねてこられた。 親の意向に沿って、病院での治療を止め、全てを僕に委ねることで親戚一同がまとまったとのこと。 それにしても、自分の親はもうあれ以上良くなることがないのか?と尋ねられる。子として老いゆく親を慕う気持ちに、胸が熱くなった。 誰もが、死に向かって生きているという厳然とした事実は、誰も止めることはできない。 そんな話をしていると、涙を落される。 しかし、話しておくべきことは、しっかり話しておかなくてはならない。 自宅で親にもしものことがあった場合は刑事事件になるので、医師とは関わっておくべきこと。 緊急で危篤の場合、医師に連絡すること。その際、安楽な最期を希望されるならできるだけ延命治療を受けないこと。これは、何よりの親孝行になりますよと、僕からのアドバイス。 あれから僕も色々と考えたが、「主たる介護者」に対して、僕が気の毒に思えていた事も伝えた。 「主たる介護者」は、患者を病院に連れて行かないこと=放置するという感覚になっておられたこと。 「主たる介護者」は、他の身内に何と思われるかに、とても心を遣っている。 そのあたりの事情をお話し、「主たる介護者」に深い理解をしてあげて欲しい旨を伝えた。
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二転三転・・・
うれしいうな、責任重大なような、人の死に関わる治療というものは、複雑ですね。 まぁ、先生のこと。 出来うる限りのことを全力でされるのでしょうけど、胃が痛くなりそうです。 頑張ってください。 (2013年10月20日 20時47分03秒)
アンクルガーデナーさん、最近気まぐれでしかブログ書けなくなってきました。そうなんです、ムラ気ひ翻弄されています。
(2013年11月09日 07時11分04秒) |