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2005.03.15
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カテゴリ:情報技術
みなさんは経済用語としてつかった「支配」という僕の言葉尻だけをとらえて、まるで僕がフジテレビを支配したがっているかのように報道されている。僕は権力にも支配にも興味アリマセン。とホリエモンはテレビ朝日の元美女アナのインタビューに答えたらしい。どの局も今回の騒動について、歪んで狭量なあいかわらずのテレビマンバカぶりを存分に発揮してくれている。わが国のマスメディアわけてテレビメディアはいずれもその本性において、ながいあいだある思いこみにより運営され発展してきた。今回の騒動で、真に見るべきはひとつはその点だ。あぶり出しの騙し絵を見る如く、騒動から浮かびあがってくる奇妙で奇怪なメディア産業という妖怪についてわれわれはもっと注意すべきである。きょうもあれこれと忙しいためどこまで書けるかわからないが、こうしたことについてすこし書いてみます。まず今回の騒動の「餌食」(ハゲタカファンド 笑)となったテレビが戦後生まれであることが重要だ。テレビは昭和30年代になって登場する。この時期は日本においていわゆる戦後民主主義の種がばらまかれた時期と符合する。ばらまいたのはもちろん当時の米国GHQだ。じつは日本において戦後民主主義はテレビにより情宣されひろまり定着したといえなくもない。もうすこし具体的に言うならば、米国によるほぼ一方通行の文化革命が、電波メディアとりわけ新参者だがより洗脳装置として強力であるテレビジョンにより日本の民衆に米国流の自由と民主主義を浸透させてきた経緯があきらかである。今回の騒動の底のほうには、じつはこうしたテレビと、冷戦が終結してつまり世界の二極対立が解けて、世界がブッシュ父元大統領の言う「新世界秩序」なるものによりあらたに再編統合されるはじまりのところで誕生した、インターネット網というもうひとつの情報通信との運命的ともいっていい対立・確執があるということである。


●おわりのはじまり

「遠くのものを目の前に見せる装置=テレ・ヴィジョン」は、もともとは軍事におけるレーダー装置から派生的に生まれた。暗視装置とは異母兄弟のようなものである。暗視装置は、暗闇を真昼の如く開示させてくれる、テレビは遠距離の出来事を眼前に運んで見せてくれる。いっぽう、インターネットもまた軍事から誕生した。合衆国における広域通信網として、ソビエト連邦の核ミサイル攻撃から国内の軍事施設の通信網を防御するためのもうひとつの広域通信システムがインターネットの原案だった。この点はなかなか重要である。多少語弊はあるのだけれど敢えて言い切れば、まず前者がアナログの(当時は)電波というものを媒介する通信装置であるのに対して、インターネットは電波を使わない(そしてデジタルである)という根本的なちがいがある。もちろん、手段としてたとえば無線LANの如く電波を活用することはあるが、原理的に言えば、インターネットは従来型のアナログな電波とは無縁なのだ。もっとも理想的なインフラとしてのインターネット網はなにかと問われれば、それはおそらくは海底ケーブルのような有線のネット網で世界中を結んでしまうことだろう。テレビの画像情報も掲示板のお喋りもサイトのあらゆる情報もここでは平等(等価)である。テレビはインターネットに「吸収される」わけである。核爆弾が放射するすさまじい電磁波の嵐によって、これまでの公衆電話回線網および無線通信網は破壊されてしまう。そのことに対抗する手段がインターネットというシステムを生む契機になった事実を考えてもらえばわたしの言いたいことの見当はつくとおもう。米国ではケーブルテレビ網が発達しているが、これも巨大なアンテナによりアナログな(特定周波数の)電波をより遠くまで飛ばすには地上に障害物があることから自然にそうなった。もちろん二重三重に被覆されたケーブルによって保護されたなかを走りぬけるものがアナログなテレビ電波かインターネットのデジタル情報であるかもまたじつはおおいにちがいがあるわけだが、話がややこしくなるからここでは敢えて触れない。もっぱら原理的な観点のみからかんがえるとき、ラヂオやテレビに代表される情報通信網と、インターネットでは以上のような根本的な相違があるということだ。

両者のちがいのもうひとつは(というとこれも誤解を招きやすいのだが)、インターネットは無数のサーバーにより結ばれる広域通信網であることだ。AからBへの通信回線が寸断されても、AからCへとCからBへの回線網が切られなければ、Aから発信する情報はBへとどくわけだ。これがインターネットがそれまでの通信システムと異なるもっともおおきいな点である。たとえ有線で結ばれていても核攻撃によって生じる電磁波の影響から逃れるのはむずかしい。しかし蜘蛛の巣の如き通信網ならば、数カ所が寸断はされても生きている回線網をたどって情報をやりとりすることができるわけである。しかし最大の相違は、「デジタル」ということだ。インターネットはパーソナルコンピュータ=パソコンの独立した個体のなかで個々におこなわれていた二進数による情報処理方式をそのままサーバーを介しつなぐことで実現された情報通信技術である。ケーブルの中や空中を行き交う情報ははじめから0と1の二進数のデジタル情報だ。これに対し従来のラヂオもテレビもデジタルではなかった。アナログであった。アナログとは、数学用語でたとえるなら微分曲線である。切れ目のない緩やかな変化だ。いっぽうのデジタルはいわば積分量だ。時計の比喩を使うと分かり易いかもしれない。従来の丸い中に数字が12並びそこを針が等速度で移動して時を表示する時計はアナログな時計だ。いっぽう「08:19」から「08:20」というぐあいに表示されて末尾の数字から時々刻々数字が加算されて時を表示するのがデジタル時計である。前者は途中の変化量も示すが、後者は中間量はとばしてしまう。ともあれここに急浮上してくる「デジタル」こそ、そもそもが今回の騒動の核のようなものではあるまいか、とわたしはかんがえてみることにした。

もちろんいまではテレビもデジタル波を使う方向へとシフトしはじめて、地上波デジタルテレビの普及なるものを大あわてではじめたわけだけれども、この動きは、早晩、テレビがインターネットの中へ吸収されることの「おわりのはじまり」ととらえるほうが正鵠を得ている。それは、じつはコミュニケーションの様態が、おおきく様変わりすることを暗示しているのである。どういうことか? これまでのマスメディアというものが、ひとつの発信源からおおくの不特定多数の受信者へと、おもに一方向にながれたものが、サーバーを介しつながるデジタルなインターネット通信では、発信源もまた無数でありそれぞれがおなじように等価な関係でむすばれるということである。これを「情報の民主主義」と呼んでもいいのだが、なるほど原理的にはその通りだが、ほんとうに民主主義か否かはこの道具をわれわれ人類がどのように使うかにかかっている。

(2)へつづく ┌|∵|┘





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Last updated  2005.03.15 21:22:14
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