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こごとむすひ

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ホワイトターラ

ホワイトターラ

2009.07.05
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カテゴリ:つぶやき
田口ランディさんのブログで タイトルは「行動させるリアリティ」なんですが、
お墓参りについて わたしには わかりやすいことが書いてありました。

そこのところ赤文字にしておいたんですが赤文字のところは
私は田口ランディさんと まったく同意見です
私は かたちより きもちが大事だけど、でも かたちも大事なんだよ・・・
かたちからもありなんだよ・・・と
思っているんですが

まさに このランディさんのおっしゃっていることが理由でもあるんですよね。

あと、この田口ランディさんが 言われていることを どう思うかは個人の自由なん
だけど こういうことを 考えようとしないと 

子供に「お墓参りってなあに?」と聞かれたときに 答えられなですよね。

これが 答えられないってことは ちょっと路線がずれるけれど

電車で 元気なのに 座り込んでいたり 食べ物を食べている若者に
「電車は どういう乗り物なのか?」を説明できないってことだと 思うんです。

田口ランディさんみたいなひとが いるって 素敵なことです・・・


・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・


昨日は地元の湯河原で、これからの地域活性化をどーするか?というような話題で
地元の方たちと集まり、盛り上がり、信じられないことだが真夜中も過ぎてしまった。
そんなわけで、あろうことかまたしても二日酔いなので、もういいかげんにしろ自分!
健康管理くらいまともにやれ!と朝から頭痛と気持ちの悪いさと闘っていたのだけれど、
ふと「お墓参りに行こう」と思い立った。

それで、踊り子号に乗って下田まで行って来た。アルコール依存症だった父の墓の前で
「とーさん、私はもう酒はやめる。たいがい一生分飲んだと思う。もういい。
飲まないで生きていくことにする」と呟いたら、隣で夫が「おとーさん、こんなこと
言ってますよ、はっはっは」と笑っていたけれど、私は本気だぞー。

お掃除して、お花を供えて、お線香をたいて帰って来た。ほんとうにただそれだけ。
帰りに観光案内所で「紫陽花はまだ見れますか?」と聞いたら
「もう終わっちゃったね」との返事だったので、再び踊り子号に乗って帰って来た。
墓石に鳥の糞がついており、それを洗いに行ったようなものだ。

墓というものへの信仰は私にはないのだが、だからと言って、日本人が大昔から
やってきた「墓参り」という行為に蓄積された思念に打ち勝つほどの強い世界認識を
もっていないのだから、逆らっても無駄だと思っている。人々が繰り返してきた行為や
信じてきたことや歴史的に繰り返されてきたことは、それを覆すだけのリアリティが
私の側になければ、下手に逆らっても逆に自分が負けてしまうだけだ。

無信仰で土地とも結びついていない寄る辺無い存在の私など、
祖父母両親が信仰してきた墓石の前では無力である。
だからって、先祖の墓参りをしないと不幸が起る・・・などと
言う人たちの口車には乗りたくないが。
ときどき、自分が確信できるようなことがこの世になに一つなくて悲しくなること
がある。なにかを信じている人たちの前に立つとき、あまりに自分が疑い深いので
イヤになる。墓の前に行って手を合わせても、ここに死んだ家族がいるなどと全く
思っていない。ただの石だよなあ・・・思う。
だけど、家族がここではないどこかに存在しているとしたら、
私の家族はきっと私が墓石の前で手を合わせていると喜んでくれるだろうと思うの
だった。そのような行為を信じていた人たちだったから、
きっとうれしいに違いない。そう思うので、
どこかに存在する家族の思いになってやっているような気がする。

じゃあ、私がここではないどこかに行ったとき、私はなにを望むんだろうか。
いや、私は何を望む人だと思われているんだろうか。私が先に死んだとき、
夫は墓参りに行くかな。行くんだろうな、なぜなら生前に私がこうして墓参りを
しているわけだか・・・しかし、養老先生が言うように、現実とはその人に行動を
起こさせるものだ、ということであるなら、わざわざ、電車に乗って墓参りに行く
という行動を私に起こさせているのだから、私にとって墓というのはかなりリアリティが
あるのだろうか? 
いやそんなことはない、やっぱりここに何かいるとか、死者とつながる場所だとか、
死者が眠る場所だとは思えない。

墓は、父が死ぬ前に最もこだわっていた場所だった。
長男が死んでいるので墓守をする者がいないからだ。
それを私に頼んで父が死んでしまった。いつもいつもお墓をどうするか
という心配をしていた。死んだ父のこだわりには、私を行動させるリアリティがあった。
つまり私は父が亡き後も父の現実の前にひれふしているのである。
父はなにかにつけて思いの強い男だった。

・・・・なんてことをぐちゃぐちゃ墓の前で考えつつ、
人生から酒をデリートするというすごい行為は、
私のどんな現実から引き起こされたことなのだろう。
たぶん、私はなにかものすごいリアリティを直感したのだろうが、
あんがいとそういうものは、隠されているのである。






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Last updated  2009.07.05 17:49:13
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