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雀坊の納戸~文鳥動向の備忘録~

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2010年10月16日
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 検察審査会というのは、日本の法曹界があまりにも浮世離れして機能不全となったため、稀有に高学歴が多い日本の一般庶民の感覚を取り入れるために作られた組織だ。ところが、いくら「起訴すべし」の一般の国民感覚を明示しても、取り調べも調書もまともに扱えないのがかなり存在するらしい検察は、権威主義的に勧告に従わなかったので(100パーセント有罪に出来ないと起訴しないとされているが、素人に口出しされムキになってしまう程度の『バカ』が多いのではないかとの疑惑が、昨今の不祥事によりさらに濃厚になっている。特捜部の上層があの程度ですよ?!)、最近になって検察審査会の議決により強制起訴をすることが出来るようになった。つまり、時代の要請により、必要と見なされ、立法府である衆参両議院の議決により、検察審査会は権限を持つに至っている。
 検察審査会のメンバーは普通の国民から無作為に選ばれており、それぞれ生業を持ち日々の暮らしを営んでいる。法曹界がまともに機能しないので、わざわざ余計なことをさせられているのであり、本来自分で行うべき仕事をさせている当事者である検察関係者、例えばヤメ検(検事を辞めて弁護士として活動している人)が、否定的な発言をするなど有ってはなるまい(「専門家のオメーらがしっかりしねーからドシロウートの手を借りてるんだろーが!」。
 その検察審査会の議決が、小沢一郎氏を起訴相当としたのは当然の帰結である。何しろ彼は、何と国民の80パーセント近い人から不信任を突きつけられているのである。その国民から抽出された審査会が、法律的に『真っ黒』とは言えなくとも「潔白」ではないグレーゾーンと見なし、裁判所に判断を求めなければ、いったいどこの国民から選ばれた人たちなのかと、かえって不思議なくらいになる。
 ところが、驚いたことにあの小沢という人は、自分も立法府に長々と席を置く人間でありながら、立法府の審議により施行された法律を基に活動させられた善良な国民が、国民多数の意思を反映しているようにしか思えない議決を出したのに対し、平然と異議を唱えるのである。この人物は、一体何なのだろうか?

 昨日は、検察審査会の議決の無効を求めるという理解不能な行動を行いつつ、なぜか柔道選手の引退会見という、まったくどうでも良い私事の席にその悪人面を並べていた感覚など、私にはまったく理解不能なものだが、何を隠そう私と氏には共通点が結構ある。「あら!血液型も星座も同じだわ!」「あら、あら!柴犬が好きなのも文鳥を飼っているのも同じだわ!」、なのである。
 血液型とか星座などまるで無意味な児戯に過ぎないが(興味がある場合『雀坊の納戸』参照)、文鳥を飼っている点にはシンパシーを持って当然ではなかろうか?しかし、私はまったくシンパシーを持てないのである。なぜなら、氏は屋内で手乗り文鳥を飼っているわけではなく、屋外の庭籠などで飼うというスタイルだからだ。屋内で家族同然のコンパニオンアニマルとして一緒に生活しようとするのと、屋外で一種の観賞用として飼育するのとでは、まったく異なる。同じ生き物であっても、見方感じ方はまったく異なって当然なのである(興味がある場合『文鳥問題』参照)。
 さらに、氏が小鳥を世話するシーンをテレビカメラの前で披露し(この人は庭で飼える種類なら、文鳥に限らずいろいろ飼っている)、「小鳥は裏切らないから好きだ。一宿一飯の恩を忘れない」といった発言をしているのを見聞きした時に、私はこの人物と、飼育スタイルの相違以前に相容れないものを感じた。思うに、党の運営やら派閥の引き締めやら企業団体との関係やら、一般人の考え及ばない人間関係での苦労をされているようなので(それが公共にとって必要な苦労であるかは不問)、自嘲をこめたのか、愚痴のようなことを言って格好をつけられただけで(「あの小沢さんにも弱い一面があるのね!」などと受け取ってくれるおめでたい人もいないとは限らない)、論理的に考えての発言ではないだろう。しかし、小鳥に忠誠を求めたり、まして一宿一飯の恩を求めるなど、滑稽を通り越して狂人の言とする以外にない。
 文鳥に忠誠心などない。賢いので、毎日エサをくれる人を覚えて、近づけば鳴いて出迎えてはくれるだろうが、はっきり言って『飼育員』など慣れれば誰でも良いし、誰なのか以前に配膳ロボットが近づいても喜ぶはずだ(『モロゾフの犬』反射的反応)。これが室内で手乗り飼育ともなれば、文鳥の場合、飼い主を伴侶と見なしたり、個別認識して人間家族の中で親疎の差別をするようにもなるが、はっきり言って主人に対する忠義心など欠片もない。そういった生き物ではないのだ。動物に「忠義心」があるとすれば、群れのリーダーに対するそれだけであり、つまり群れを成してリーダーの元で行動する習性を有する動物以外には、忠誠心など存在理由がない。そして、存在理由を有する犬でさえ、「一宿一飯」程度の恩など感じないだろう。あるとしたら、エサをもらって日を置かない時点での、またもらえるかもしれないといった期待感くらいと考えるべきなのだ。
 一宿一飯の恩など、人間のような階級性なり社会的上下関係が有形無形に存在する生き物においてのみ有り得る特殊な感覚であり、それも閉鎖的なヤクザ社会くらいに適用されるものであり、しかもそこでは、与えられる側が、些細なことも恩を忘れなかった「男気(侠気)」を示す行為として賞賛されるものであって、間違っても与える側の「親分」が口にはしない言葉のはずである。「一宿一飯の恩義を忘れるなよ、ゲヘヘヘヘ!」などと言う「さもしい」(心根が卑しく品性が下劣で意地汚い)親分がいても、そのような者に従う「子分」は少なかろう。つまり、一宿一飯の恩とは、与える側ではなく与えられる側が、それを感じるかどうかだけの問題なのである。さて、「子分」に対してすら口にしない恩を感じさせようとして、ペットにエサを与える飼い主が正常と言えるだうか?
 手乗り文鳥の飼い主には、飼育する文鳥の下僕としてお仕えしているといった感覚を持つ人がいる。確かに、住環境を整えエサを与え何くれと無く世話をしているのに、文鳥は特に恩を感じるわけでもなく、当然のようにおよそ2千倍の質量を有する飼い主を、威嚇したり噛み付いてきたりするのだから、これは絶対権力を持つ暴君に仕えている感覚になっても不思議はあるまい。確かに、自分のペット動物に恩を施しているなどと考えるよりも、よほど正常で現実的な認識なのである。しかし、私はより家族感覚に位置づけている人が多いと思っている。人間の母親が、家族のために365日毎日毎日ご飯を用意する時に、夫に奉仕させていただいているとか、子供に恩を施してやっているとか、いつも思うであろうか?普通に自分の家族が家族であるために、日常の自分の役割をこなしているに過ぎず、特に何も考えていないのが普通だろうと思う(家事を賃金に換算するなど正気の沙汰ではない。生きて息を吸うだけのことも労働として評価するのか!)。飼い主がペット動物の世話をするのも、たんたんと日常の役割を果たしているだけだろう。当然、同じ人間である限り、相手の労苦を思いやるのは、家族であっても当然必要な礼儀だが、あいにく文鳥は人間と別種の生き物なので、元気に飛び回ることで感謝されていると受け取る以外ない、それだけのことだと思える。
 恩は恵むもの、または施すものであり、その恩を感じるか感じないかは、どこまでも受け手の問題だ。いくら恵み施しても恩を仇で返されるのなら、それは己の不徳を恥じるべし、とするのが、良かれ悪しかれ日本の伝統的な感覚であろう。ましてや、恩など感じるはずもないペット動物に対して、「一宿一飯の恩を忘れない」など、笑止千万なのである。

 さて、岩手県水沢市を選挙区とする政治家小沢一郎氏と言えば、「側近」とされた人物がことごとく離れていくのが特徴となっている。いろいろ事情があり、離れる方にも多くの問題があったようにも思えるが、「小鳥は裏切らないから好きだ。一宿一飯の恩を忘れない」との、おそらくは軽口によって、結局、この人は親分として器量が小さいので、少し優秀な「子分」は離れることになるのだろうと、私は得心した。何かを与える時に、それも自分より身分や立場上なり経済的になり低いと見なされる人に対する時に、「恩に報いろよ!」などと思う人間として「さもしい」態度は、それを受ける人がどれほど愚かであれ、むしろ劣等感が深ければ深いほどに、明確に伝わり自尊心を傷つけるものなのである。少しでも、自分と言うものが保ち、身分なり経済的に小沢氏の世話になっていない人間なら、このような「親分」に従い続けることなど出来ようはずがないのだ。
 野党の際に捜査が及べば「国策捜査!」と検察を批判し、起訴を免れたら「潔白を証明してくれた」と検察の捜査を賞賛し、起訴相当の議決が出れば立法府に有りながら検察審査会を非難する。このようなご都合主義の行動も、ことごとく「さもしい」。齢は耳順の六十をはるかに超えて七十に手が届く年寄りでありながら、国民の声に一切耳を傾けないイエスマンに囲まれた裸の王様に成り下がり、晩節を汚すだけのために奔命する姿を見せられるのは、もうこりごりなのである。偉大な政治家だと思ってくれている人も少なくないうちに、とく、とく、水沢へお帰り頂きたい!






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Last updated  2010年10月16日 17時25分54秒
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