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雀坊の納戸~文鳥動向の備忘録~

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2013年05月29日
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 大津波に伴う原発事故の際、安易にチェルノブイリ事故と比較して、同等とかそれ以上とか、吹聴して不安をあおり立てて回った似非(エセ)専門家やジャーナリストの類がいました。未曾有の事態に動揺し、それを信じて心の平安を失った人も多かったのではないでしょうか。しかし、事実は、「原子放射線の影響に関する国連科学委員会」(UNSCEAR)の報告案に基づく記事によれば(読売新聞5/28)、日本人の甲状腺最大被曝線量はチェルノブイリ原発事故の「60分の1以下」、放射性物質の大気への放出量も、チェルノブイリ原発事故の25~33%未満に過ぎず、両者には比較対象にならないほどの開きがあったのです。
 しかし、このような真っ当な専門家の科学的な評価を待たずとも、事故の性質や規模、そして事故時の政府の対応を、客観的に見比べる能力があれば、ちょっとした人為的ミスに基づくチェルノブイリのそれが桁外れに重大で、それに比べてしまえば、日本の未曾有の津波による事故の方は、案外なくらいに過小なものに見えたはずなのです。つまり、当時何やら言い募っていた人たちは、非科学的であるか、チェルノブイリ事故をろくに知らなかったか、たんに目立ちたかっただけで騒いでいたことは、今や明々白々と言えるでしょう。
 一般人に過ぎない私などは(原発にはもとから懐疑的です。必要のない広告宣伝費を使い威張っていた独占企業の電力会社など大嫌いでした。当然、馴れ合いベッタリの「原子力ムラ」など有害廃棄物として苦々しく思っていました。一方で、何でもかんでも反対するだけで「安全神話」答弁を引き出すことに終始した反原発運動家たちも、55年体制の与党と野党のもたれ合いと同様に見ていませんでした。あの人たちは、事故の可能性を踏まえて有効な対策を建設的に考えることを阻み、「安全神話」を生み出した共犯でしょう?)、つまらない扇動に乗ってしまい「市民活動家」になった元一般人の姿をテレビで観ると、気の毒なことだと思っていました。許せないのは、電力会社と親密だった原発推進派の専門家たちが、意気消沈しているのを良いことに、暴論を繰り返し、生活に追われる一般人を扇動し続けた人たちです。彼らは、冷静を取り戻した良識のある日本の一般人の大多数、サイレントマジョリティによって、今後さらに、沈黙の制裁(「まとも」には扱われない)を受けることになるはずです。哀れな者と言えましょう。

 事故後2年を経過した2013年になって、ようやく客観性を持って、事故なり原発について考えられる雰囲気になり始め、重大な事故によるショックと、周囲の非難で沈黙を余儀なくされていた推進派の人たちも、意見を述べてくれるようになりました(【例】評論家の木元さんの産経新聞正論)。いわゆる「原子力ムラ」の研究者や技術者、そして推進派の言論人であれ、原発のことを我々一般人よりも以前から考え、知識も多く有しているわけですから、電力インフラ独占企業のあぶく銭の中毒症状が治まれば、安全性の向上や知識の普及について、もっとも建設的な意見を述べることが出来る存在のはずです。反省すべきは反省しつつも、レッテルに負けずに世の中の発展のため主張してもらいたいものです。
 一方、専門性などかけらも生活上必要としない文系の私は(専門でない者は黙っていろ、と言えるのは、専門家同士の科学的な話し合いをしている時の専門家だけです。当時、高校の社会科レベルの知識も持たずに、たんに恐怖感を募らせていた人たちの中には、自分が専門用語を理解出来ない一般人の一人であることを失念し、専門家による結論を闇雲に求め【※そんなもの存在するなら研究する必要がない】、それでいて本当に専門性のある学者には「原子力ムラ」のレッテルを貼って排除し、結果、似非専門家を盲信することになりました。一般人は、生活の中に活かせるように、慎重に専門の知識を拾ってこなければならず、それが不可能なら、自分と同じ一般人の解釈を参考にするしかありません。専門家による専門的な議論は、その専門学会内で研究者同士で続けられるべきもので、それは生活レベルで必要な結論を求めて行われるものではありません)、なぜ、あくまでも平均的に見れば、理知的な国民性を有すると思われる日本において、非科学的な妄想を受け入れる人が多く出てしまったのか、そこに関心を持っています。そして思いついたのは、それが無知ゆえではなく、若い頃に漫画やアニメから得た知識を、大人になっても疑いなく持ち続けていたから、という推定でした。
 例えば、埼玉県川口市と東京の池袋に所在する小鳥のセンター病院院長にして生態系協会会長の池谷泰文氏は、昨年の7月、一昨年の原子力発電所の事故によって放出された放射性物質の影響で、「奇形発生率がどーんと上がることになっておりましてですね、たいへんなことになる訳でございまして」と、まるで非科学的で非常識な発言をし、社会的信用を低下させてしまいましたが(福島民報の記事)、この話を聞いた私が連想したのは、「手塚治虫」なのです。
 具体的には、1977年『月刊少年マガジン』に掲載された『聖なる広場の物語』という作品を思い浮かべていました。それは、「聖なる砂」を浴びた鳥が、巨大化し牙が生えたり脚が増えたりと、どんどん凶暴な姿に変身していくというお話で、「聖なる砂」は放射性廃棄物で、放射性物質により奇形に変身したのだ、とうろ覚えしていたのです。そこで念のため、この話が収録されている『手塚治虫短篇集1 夜よさよなら』『手塚治虫アンソロジー鳥傑作集』を確認したのですが、愕然としたのです。なぜなら、「聖なる砂」の正体は、放射性物質ではなく、特殊化学兵器の廃棄物だったのです。
 なぜ私は、何度も読んでいたストーリーにも関わらず、思い違いをし続けていたのでしょうか?もっとも、私だけなら、いつものことなので不思議はありませんが、ネットを検索すると、同じような思い違いが散見されました(【例】草野真一氏の記事)。これはどうしたことでしょう?もちろん、私を含めて、思い違いをしている読者側の問題ではありますが、その前提は、幼い頃から漫画やアニメなどを通じて刷り込まれた『呪縛』であり、その一端はやはり「手塚治虫」だと指摘しなければなりません。
 1950年代に誕生した巨大怪獣ゴジラは、その誕生に原子力爆弾の影響となっていますが、「手塚治虫」としては、1960年代に早くもアニメ化され、再三再四にわたって再放送された『ジャングル大帝』に、放射線を浴びて巨大化した植物や昆虫が登場しています(第23話大怪虫)。もちろん、生き物が生きながら巨大化するなど、非科学的で有り得ません。植物では、1960年代の文学作品、井伏鱒二の『黒い雨』の原資料となった重松静馬氏の当時の日記に、広島の爆心地において「石垣を見ると、かたばみや烏の豌豆などの新芽が徒長して、支えられず、だらりと下にさがっている」とありますが、これが事実としても、比較的に高い放射線を一時的に被曝したことで、成長の初期段階の個体の遺伝子が大きく損なわれた可能性を示唆しているに過ぎず、「カタバミや烏の豌豆」などの、地下に栄養を蓄える植物は、成長の初期段階に放射線で異常をきたしても、その蓄えた栄養が存在する限りは成長出来たのだろう、と類推されるに過ぎません。
 すでに形をなして生きているものが、肉体変容(メタモルフォーゼ)を起こすのは、ファンタジーであって現実では有り得ません。「へ~んしん!」など、子どもの空想でしかないのです。従って、『ゴジラ』や『ジャングル大帝』なら、大人になれば現実離れして滑稽だと気づくはずですが(動いている心臓がその形態で動きながら大きくなれる訳がないでしょう?)、「漫画の神様」は、放射線の悪影響について、より現実と混同しやすい危険な誤解を描いてしまっています。私が知るところでは、1971年に雑誌『COM』に掲載された、火の鳥の羽衣編・望郷編がそれです。そこでは、核戦争で被爆した女性がタイムマシーンで10世紀の日本にやって来て、漁師と結ばれ子供を産みますが、その子が放射能の影響で奇形児どころかミュータント(突然変異体)、頭の触覚で周りを知覚し、テレパシーを使って動物と会話出来るとされていたのです(雑誌廃刊もあって未完で終わり、現在残る羽衣編・望郷編とは別物。内容については、コチラのページで紹介されています。なお、望郷編の角川版はいい加減に過ぎる改悪がされているので、注意が必要です)。
 もちろん、「漫画の神様」は、自分の国に原子爆弾の被爆者が多く存在し、角の生えたミュータントは一人も生まれていない現実はわきまえていたはずで、重大な放射線被曝の問題は、その個体の死を招く点にあることくらい、元々承知していたと思われます。なぜなら、『火の鳥』の羽衣編の前の作品である復活編では、放射線に被曝してしまった少年は、急性障害で重篤になってしまっているのです。つまり、近未来戦争での兵器による影響で変異が起きるという着想に現実性を持たせるため、(あまり深くは考えず)核戦争による放射能の影響としてしまったのではないかと思いますが、「漫画の神様」の影響力は絶大なため、後進の作品にも影響を与えずには済まず、我々は知らぬ間に、『放射能→変異』といった、この誤った認識を刷り込まれてしまったように思います。
 結果、例えば、宮崎駿さんの1980年代のアニメ『風の谷のナウシカ』では、地球上での大戦争の後、巨大な虫(王蟲)が出現していますが、これも何となく放射能によって変異したものだと思い込んでしまいます。実際、先の震災での大事故と、このアニメ作品を結びつけている人の文章を多く見かけました。しかし、『風の谷のナウシカ』には、放射能や放射線や放射性物質、核爆弾の類の言葉すら、出てこないようです(1度アニメを見ただけなので、わざわざ原作の漫画を全部読んで確認しました。感想ですか?まず海を浄化しなければ始まらないだろうに、おかしいではないかと・・・。風の谷という集落【小国家】は海風に守られているとしながら、その海が有害物質が最終的に流れ込んで生き物が住めない状態としているのですから、根本的に矛盾しているではありませんか)。「大地の富をうばいとり大気をけがし生命体をも意のままに造り変える巨大産業文明」は「有毒物質をまき散らして崩壊」し、生態系が破壊されてしまったとされているだけで、「有毒物質」が具体的に何であるかはわからないのです。人間の作り出した怪しげな猛毒と、漠然と描いているにすぎず、それを放射性物質と受け取っているのは、観る側に勝手な先入観があるからに相違ないでしょう。






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Last updated  2013年06月04日 17時28分23秒
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