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カテゴリ:文鳥動向の備忘録
風が涼しく、聞こえるセミの声はツクツクホウシだけ。夏の終わりを感じていたら、ツクツクホウシには聞こえず、「ツクヅクオシィ」であった。従って、今日から残念蝉と呼ぶことにした。「つくづく惜しい!」なら残念に相違あるまい。きっと、夏に何か残念なことがあった人を慰めているのである。 つくづく惜しいと慰めたいのは、千葉市動物公園だ。麻酔銃信仰がなければ、相手が生後3ヶ月の大型インコなら、考えずに体を動かす力技に徹しても、最悪の結果に陥らずに済んだだろうに。 さて、私の周辺にもつくづく惜しいことは転がっている。今日の写真は、ポンの飛翔写真を撮ろうとして、ごくわずかにズレてしまい、つくづく惜しかった。つくづく惜しいと鳴くセミが止まる樹木のある隣家の庭が、手入れをする人がいないらしく、雑草の展示場となってしまっているのは、つくづく惜しい。我が家の朝顔が繁茂したのは良いが、なぜかネパールではなく陽州だったのも、つくづく惜しかった。文鳥に戻れば、禁断の額縁にソウ・テイが止まるのが常態化してしまい、つくづく惜しいことになってしまいそうだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013年09月06日 22時55分02秒
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