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雀坊の納戸~文鳥動向の備忘録~

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2014年09月11日
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 今さらですが、『赤毛のアン』を読んでいます。現在のNHKの朝の連ドラは、この作品を最初に翻訳された村岡花子さんをモチーフにしたものですから、大昔に村岡訳『赤毛のアン』を熱心に読んでいたらしい家の者のため、ことのついでに、ポプラ社の『赤毛のアン』を古本で購入し、本棚に置いていたのですが、それを、自分でも読む気になったのです。
 中高校生の頃は、かなり小説なども読みましたが、『赤毛のアン』は女の子向けという認識で、読書リストに入りませんでした。また、それ以前に、アニメの世界名作劇場で、『赤毛のアン』を見ていたはずですが、なぜか間違った香料を入れたお菓子を作ってしまう話だけを覚えていて、全体的には空想好きの赤毛でそばかすの女の子の話、というイメージしかありませんでした。
 つまり、ほとんど無知なまま、ポプラ社の図書館用とされる単行本の大きな活字を目で追い始めたのですが、面白かったので一気に読んでしまいました。ただ、何となく原作を端折っている印象を受けました。ポプラ版を大人が小説として内容をある程度分析しつつ読むと、つじつまが合わない点を感じるのです。特に大きな疑問は、主人公Anne(eを付けろと言うので、アルファベットで表記します)の学歴です。Anneは生後3ヶ月で両親と死別し、以来、天涯孤独で、他人の家で厄介者となりつつ、子守役をしながら十歳まで成長した子どもなので、教育を受けるチャンスは無かっただろうと思うのです。文盲であっても不思議はないわけです。ところが、おしゃべりの内容は、論理だっていますし、古典の劇作か詩の中の言葉のような大げさな部分が混じります。つまり、教養を感じさせるわけです。なぜ彼女に教養があるのか、その説明となる話が、村岡訳ポプラ版には皆無です。
 
 そこで、アニメの身の上話の部分(4話「アン・生立ちを語る」・・・マリラの声は『奥様は魔女』のサマンサの母エンドラと同じ声優さんだったんだ、と今さら気付いて驚かされました)を見たら、学校には「あんまり行ってない」とし、2番目のもらわれ先の家では、春と秋しか行けなかったが、高校の教師をしていた父母の形見の本を読んでいたと、話していました。しかし、これはこれで、また謎でしょう?2番目の家は、子守りのためにAnneをもらい受けているのです。それも、双子が3組いて合計8人という、聞くだけでウンザリさせられる修羅場ですから、その世話をしている子守のAnneに、学校へ行く時間が与えられるとは到底思えないのです。
 むしろ疑問が深まったので、原文を確かめようと思いましたが、あいにく英語を見ると頭がクラクラしてしまいます。そこで、やむなく、掛川恭子さんの「完訳」とある講談社の『赤毛のアン』を読んでみました。結論を先に言えば、こちらは確かに完璧な訳でした。当該部分は、「あんまり。トーマスさんのところにいた最後の年に、ちょっとだけ」となっています。確認のため、我慢してこの部分だけ原文を見ても、I went a little the last year I stayed with Mrs. Thomas. で、トーマスおばさんの家にいた「last year」最後の年に、「a little」ちょっとだけ、でした。調子に乗って、その後の原文を載せれば、When I went up river we were so far from a school that I couldn't walk it in winter and there was a vacation in summer, so I could only go in the spring and fall. と、アニメ同様に春秋に学校へ行ったようなことを言っていますが、たぶん行けなかったものと思われます。冬は自然条件によって通えず、夏は学校が休みなので、春秋しか通えないのだから、通う必要がない、と子守に専念させたい大人に言われていたことを示唆しているだけと考えるのが妥当でしょう(この点、Anneの身の上話を聞いたマリラの感想に示唆されています。掛川訳「こき使われ、貧しさに苦しみ、だれもかまってくれなかった暮らしだったのだ。アンが身の上話で言葉にしなかった部分を読みとり、真実を見抜く力が、マリラにはあった」。あくまでも、学校に通ったのは、「a little」なのですから。
 つまり、アンの学歴は、8歳くらいでの、おそらく数ヶ月の初等教育と、その後の教科書などの独習、および、10~11歳にかけての半年間、孤児院で学校教育を受けたことに限られると思われます。初等教育を受ける機会がかろうじて有ったため、その後、両親の形見の存在は不明ですが、読書など独習が可能となり、さらに孤児院ではむさぼるように勉強した、と、とりあえずは矛盾のない経過を、想像できるかと思います。頭抜けて勉強家だったので、(容姿はともかく)孤児院としては一押しの女の子だったのかもしれません。

 さらに、掛川訳を読み進み、村岡訳との違いで引っかかったのは、錐状ババアことブリュエット夫人がAnneを評価する場面です。
 村岡訳「フム、たいして見ばえはしないが、しんは強そうだね。けっきょくは、しんの強いのがいちばんさね」
 掛川訳「へえ、あんまり肉づきがいいようには見えないね。だけど、体つきはしっかりしている。やせてしっかりしているのが、一番だそうだけどね」
 村岡さんの方は、痩せっぽちな身体的な特徴ではなく、気持ちの強さという精神面を汲み取って評価していることになっているのに対し、掛川訳では、痩せてはいても体格はしっかりしている身体的な特徴を評価したことになっているわけです。そこで、我慢を重ねて原文を・・・と思ったら、原文を載せ、なおかつ訳してくれているサイトを見つけたので、参照させて頂ました(コチラ)。
 Humph! You don't look as if there was much to you. But you're wiry. I don't know but the wiry ones are the best after all. 
 wiry、ワイリーは、ワイアーの形容詞化した単語のようで、意味は「針金の」ですが、転じて「(人・体などが)筋張った・屈強な・筋金入りの」といった意味で使われるようです。つまり、筋金が入っているなら「しんが強い」とする解釈も可能かもしれませんが、やはり痩せていても骨格はしっかりしていて柔軟な体格的特徴を指していると解するのが自然と言えるでしょう(ワイヤー【針金】のようなAnneが、そう評したおばさんを木工用の錐に例えるのですから、なかなかです)。つまり、村岡訳は原文とは離れているようにも思えます。しかし、子どもに聞かせる前提なら、痩せてる方が丈夫という誤解が生じかねない個人的な見解より、しっかり者の方が役に立つとした方が、一般的な教訓を含み、わかりやすいかと思われます。
 
 と、掛川訳は、まだ始めしか読んでいませんが、村岡さんの方が、児童文学として位置づけを意識した『赤毛のアン』で、おそらくポプラ社版は、それを簡略化されていると見なせるのに対し、掛川さんの方は、特に児童向けに意識して書かれたわけではない『Anne of Green Gables』という小説を、忠実に訳出しているものと見なせそうです。
 今後、さらに、村岡訳の原本である新潮版もチェックし、気づいたことがあれば、書きたいと思います。それにしても、こういった読み方は、『赤毛のアン』の読者としては、不健全なような気がしないでもないです。なお、マシューが会話で初めに付けてしまうWell nowは、村岡さんの「そうさな」がしっくりくるとは思います。
 
 

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Last updated  2014年09月11日 21時39分20秒
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