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雀坊の納戸~文鳥動向の備忘録~

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2014年09月15日
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 『赤毛のアン』にわか研究の続きとなります。
 
 講談社版の完訳を読み終え、ポプラ版が38章を32章に圧縮したために、奥行きが足りなくなっていると理解できました。児童文学と銘打たれた場合、原作を抄訳したものになってしまいますが、ポプラ版には何の説明もないので(特に「児童文学」ともされていません)、それだけを読んで、面白いだけで済ませてしまってはもったいない気持ちになりました。
 そうしていたところ、新潮文庫の村岡花子訳『赤毛のアン』が届いたので(昭和29年発行、昭和62年75刷改版、平成15年121刷・・・すごすぎるベストセラー。もちろん38章しっかりあります)、さすがに、赤毛のお嬢ちゃんはお腹いっぱいで、げんなりしつつ、始めだけ読めましたが、冒頭から奇妙な部分があって戸惑いました。

 「最初マシュウはくろんぼの子はどうかって言い出したんだけれど、・・・(中略)・・・ロンドン育ちのくろんぼはわたしゃごめんだ」

 とされている部分で、ポプラ版では省かれています。今現在なら、白人が黒人を養子にしても、さほど不思議はないですが、19世紀末から20世紀初めの当時は、都会でも考えづらく、ましてカナダの田舎町では有り得ないと思えたのです。残念ながら、人種差別意識が濃厚だったのですから。そこで原文はどうなのか、またも、ブログ『赤毛のアンで英語のお勉強』さんで確認させて頂くと(コチラ)、次のようになっています。

 At first Matthew suggested getting a Home boy. ・・・(中略)・・・but no London street Arabs for me,

 英語の成績が芳しくなかった者でも、「Home boy」を「くろんぼ」と訳すのは、無茶だとわかります。この場合のhomeは、home countryのhomeで、マシューとマリラの先祖が、イギリスからの移民であることを意識している発言と見なすのが妥当でしょう。ようするにマシューは、先祖の地への憧憬もあってか、移民にとっての本国であるイギリス(のブリテン島のイングランド)の孤児を養子に迎えようと考えたのに対し、マリラはロンドンのような大都会で育った浮浪児に、田舎暮らしは無理だと、現実的な判断をし、より近傍の孤児の方が無難と見なしたものと類推されます(島名のプリンス・エドワードはヴィクトリア女王の父親にちなんだ名前です。何となく日本人の意識にはありませんが、現在のカナダ連邦も立憲君主制の国家で、君主はイギリス王室です)。この兄妹の性格の違いを垣間見せている部分とも見なせるでしょう。
 そもそも島社会は、どこでも閉鎖的になりがちですし、プリンス・エドワード島は、英仏の植民地争いの舞台でもあり、先住していたフランス系の移民を排除し(当然、それ以前に先住民族がいました。彼らミクマク族はプリンス・エドワード島を「アベグウェイト」と呼んでいたそうで、それは「波の上のゆりかご」の意味だったそうです。ミクマク族の人たちの方が『相呼ぶ魂』だったのではないでしょうか?)、イギリス系の白人が入植した土地柄ですから、同じ立場の英国系移民の結束は固く、同じ白人であっても、フランス系に対してすら、強烈な差別意識が存在したものと思われます。それは、『赤毛のアン』の作中にも現れていて、例えば「まぬけの半人前のフランス人の小僧ども」(【新潮】村岡訳)といった具合です。その「フランス人の小僧」を養子に迎える考えなど毛ほどもない人たちが、黒人を養子に迎えるなどという発想がないでしょうし、万が一にも実行すれば、村どころか島中の、「センセーション」になってしまうでしょう。
 つまり、カナダという国の成り立ちや、当時は歴然と存在した人種差別意識を前提とすれば、村岡さんの訳は突拍子が無いと言わねばなりません。その点、掛川訳は正確で、「最初マシューは、<本国>の子をもらってはどうかっていったんです。・・・(中略)・・・でも、ロンドンの浮浪児だけは願いさげ」としています。本国の中にロンドンがあるわけですから、本国とはイギリスなりイングランドのことを指しているのは明白ですが、それでも<>付きとするのは、いかにも慎重と言えそうです。

 では、なぜ村岡さんは「くろんぼ」と訳したのでしょうか?浮浪児「street Arab」を、字義通りに『道端のアラブ人』と受け取っての誤解でしょうか?そこで、少々検索したところ、そのように誤訳を指摘される川村学園女子大学の菱田信彦教授ご見解の記事(コチラ)がありました。確かに、訳出作業は太平洋戦争前後のことですから、「海外事情があまり伝わってこない時代」なので、変わった表現を誤訳してしまうのは、致し方がないところかと思います。
 また、村岡さん自体に差別感情が希薄だったことを反映しているとも見なせそうです。浮浪児は顔を洗わず煤けているので、黒く汚れてアラブ人のようだ、などと表現したら、現代では、それだけで十分に差別的と見なされるでしょうし、現在では、「くろんぼ」という表現自体がはばかられます。しかし、そのように訳した村岡さんには、人種差別の意識は皆無だったからこそ、そのような解釈になったとも言えると思うのです。
 日本で生まれ育ちながら、キリスト教人道主義の『善意』の中で教育を受けたのが、村岡さんの学歴です。イギリスなりアメリカなりカナダでさえも、現地に行けば、日本人に対して現在以上に人種差別感情が存在し、露骨な体験もさせられたはずですが、村岡さんが接した欧米人は、人種差別感情を超えた伝導を行う「宣教師」としての使命感を持った外国人教師に限られていたものと思います。このおよそ浮世離れしたとさえ言える高潔な人々と接する限り、世界中のどこにでも潜在し、まして白人の優越した時代では顕著であった人種差別を実感する機会には、遭遇し難いはずです。
 したがって、Home boy=street Arabとあるので、本国とは英国で、そこの黒い子なら「くろんぼ」、と単純に解しても、それは無理からぬことだと思います。

 しかし、あえて「くろんぼ」としたと深読みすることも可能かもしれません。この部分を、掛川訳のように正確に訳すと、イギリスの孤児とでカナダの孤児の違いがわかりにくいのです。日本人から見れば、白人は白人ですし、ましてや、同じイギリス系なら、本家本元から養子を迎えることへを躊躇する意味は、理解しがたいでしょう。それが、肌が黒い子となれば、外見的な違いは歴然ですから、これを避けるのは無理もないと受け取れるかと思います。つまり、日本人の読み手に合わせた訳出の可能性も考えられないこともないかと思います。
 また、村岡さんが訳出して出版した、第二次世界大戦における敗戦後の余塵くすぶる日本の社会、それも東京には、浮浪児と呼ばれる戦災孤児がとても多かったので、この語を避けて、あえて「くろんぼ」と表現したとも見なせるかもしれません(「くろんぼ」自体は、現在より差別的意識がなく使用されていたようです)。
 実際は誤訳だったとして、いろいろ背景を考えてみるのも、楽しいかもしれません。

 訳としてなにか問題があったのでは?と引っかかる点としては、第4章で鉢植えをボニーと名付ける際の、「handles」も挙げられるかと思います。ネット上の名乗りをハンドルネームなどと言うように、ペンネームやニックネーム同様の意味のはずですが、おそらく当時は一般的な言い回しではなく、もしかしたら、村岡さんもよく分からず「ハンドル」とそのまま用いたように思えるのです。しかし、この部分は同時に村岡さんのセンスが、見事に発揮されている例のようにも感じます。
 
 「あおいの花でも一つ一つにハンドルがついてるほうが好きなの。手がかりがあって、よけい親しい感じがするのよ」
 
 「手がかりがあって、よけい親しい感じがするのよ」は、原文にはありません。しかし、ハンドルに対しての実に素晴らしい説明ではないでしょうか。

 さて、新潮版を10章まで読んで、私は、すでにギブアップ状態ですが、そこまできて気づいたのは、マシューの呼び方です。村岡さんはAnneが「小父さん」と呼んでいることにしているのです(ポプラ版も「おじさん」)。しかし、原文は、例えば、マシューが亡くなってしまう場面で、アンは「Matthew is--is」と叫ぶように(原文はコチラ)、名前を呼び捨てにしています(掛川訳はマシューです)。家族に憧れるアンとしては、「Aunt Marilla」、マリラ伯母さんと呼びたかったのに、現実主義のマリラに拒否されてしまい(血縁的に繋がっていないから)、マリラと呼ぶように言われてしまうのですが、マシューについては、特に物語の中で説明はないようです。
 確か、アニメではマリラ同様、呼び捨てにして欲しいとマシューが言っていたと記憶しますが、Anneとしては伯父さんと呼びたかったかもしれません。となれば、Anneの気持ちを忖度した村岡さんが、あえて「おじさん」としたとも思われます。戦後間もないの日本において、養い親に対して呼び捨ては失礼どころか無礼の極みでしょうから、社会通念上、少なくとも男親に対して呼び捨ては受け入れられないと判断したのかもしれませんが、Anneの気持ちで訳したと考えたほうが、面白いかと思います。
 個人的には、マシューはマシューの方がしっくりくるのですが、判断が分かれそうなところです。
 
 
 ところで、つい先ほど知ったばかりですが、村岡花子さんのお墓は、横浜の久保山墓地で、おそらく私が、何十度かは、犬の散歩で行き来したであろう地域にあるようです(かるべ茶屋の奥の道を左手に折れて下っていった辺り)。これも、ちょっとした縁でしょうか。ちょっとした縁でのにわか研究は、このあたりで手仕舞いとしておきましょう。





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Last updated  2014年09月15日 17時48分24秒
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