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雀坊の納戸~文鳥動向の備忘録~

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2016年10月08日
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 昨日書きなぐって載せようと思ったのだが、急の事態があったので、一日遅れとなった。
 瀬戸内寂聴さんの次の発言についての批判である(産経記事)。

「人間が人間を殺すことは一番野蛮なこと。みなさん頑張って『殺さない』ってことを大きな声で唱えてください。そして、殺したがるばかどもと戦ってください」
 だからね、晴美おばあちゃま、その一番野蛮なことを平然とやってのけた人非人の殺人鬼を、反省の欠片もなくとも人として生かすべきか、それとも死に値する罪を犯しながら、自裁も出来ない憐れな衆生として、その所属する社会の公権力が、慈悲を示してやるべきなのか、そこが問題なのよ。と、この記事を読んだ私は思ったのである。
 誰も、罪の無い者を殺したがっているわけではない。そもそも、死刑を許容するか否かは、死刑になどなるはずのない、被害者になり得ても加害者にはならないはずの一般市民が、より良い社会のあり方について話し合って、その時々の社会の必要性で決めていけば良いことで、遺族以外では当事者に成りえない者同士が、敵味方に分かれて相手をバカ呼ばわりして【戦う】必要などない(【戦う】ではなく【闘う】だと日弁連の人は擁護すべきだったが、そのような言語の感性は無いのだろう。口では反戦を唱えるような人ほど、頭の中はいつも戦争状態で戦いを欲しているようで、気味の悪い話である。・・・戦争と闘争では違うでしょう?)。
 例えば私は、他人の生命を奪えば自分の生命が奪われるのも当然、との素朴な概念を持っているので、死刑が無ければバランスを欠くことになると思っている。また、本来自裁して死ぬべきながら、人間の弱さからそれを為し難い人に対し、公権力が介錯してやるのが、死刑制度の本質だと解釈している。しかし、死刑に反対する人を「バカ」とは思っておらず、それはそれで、傾聴に値する意見だと尊重している。何しろ、死刑制度の存否は、いずれの意見であれ、個の生命を大切にしているからこそのもので、違いは視点の相違のみと言える。それを知性で互いを理解しようとせず、感情的に「バカ」だのマヌケだのアマチャ坊主だのとレッテルを貼って憎悪する必要はない
 死刑を支持する人は、被害者側の生命の尊さを認識するからこそ、その代償が必要なのだと思い、それを奪った者への制裁を死刑に求めるに過ぎない。一方、死刑の廃止を求める人は、現在生きている犯罪者側の生命を重視し、それを奪うことにためらいを覚えるだけである。どちらも、もっともな話ではなかろうか?
 例えば、死刑がなければ、人を殺しても三食昼寝付きで安心して日々を過ごせると思い違いした無駄飯喰らいが、無限に増加するかもしれない。一方、もし、冤罪の可能性の無い殺人犯を、次々と死刑にしてやれば、最近はやりつつある「自分が死にたいから人を殺した」との死刑を己の自殺手段とする愚か者が増加してしまうかもしれない。他人の生命を奪うという取り返しのつかない犯罪に対し、どのような刑罰を行えば抑止につながるか、これは単純な死刑制度の是非にとどまらず、より込み入った難しい課題のはずである。
 瀬戸内晴美さんと言えば、元々、奔放と言うより好き勝手な逸脱を重ねた方だったが、出家され寂聴さんとなって、現在、九十有余の歳月を重ねた解脱される前の刹那に、悪い意味で目立つだけ、になっているように思える。いろいろ私生活で逸脱した者が、御仏の導きで立派なご高説を垂れるまでになったのだから、悔悟して昇華したと見なされようし、それが、若き日に不倫する際にも役立ったであろう生来の口達者のなせる技であったとしても、その言葉に救われる人がいるなら、実に有難いことだ。いにしえに、迷える子捨ての不倫常習犯を得度させた今東光さんのように、男気あふれる親分肌を発揮し、あの晴美さんでも、迷える人を導かれるようになられたのは、実に結構なことだったと見なすべきだ。
 したがって、泥沼で他人に迷惑ばかりをかけつつ喘いだ往時を思い出させるような、はた迷惑な活動力で晩節を汚されるのは、残念に思えてならない。これでは、せっかくの徳行もまやかしのように思われてしまい、寂聴さんのお言葉で救われた無垢な人たちの気持ちを裏切ることになるのではなかろうか。お控えていただきたいものだ。

 ところで、アマチャ坊主、と自分で書いて意味がわからない。手塚治虫の漫画で見かけたような気がするのだが・・・。そこで、勝手に、尼で無茶する坊主のことだと解釈した。ご老体に無茶は禁物である。





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Last updated  2016年10月08日 18時30分58秒
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