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雀坊の納戸~文鳥動向の備忘録~

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2016年12月13日
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カテゴリ:文鳥動向の備忘録

左上、一番高いところにいるのがトミ

 帰りは、イスの上に乗って指を伸ばして送迎しなければならない。早く、身軽に飛び回れるようになって欲しいものだ。

 さて、朝、ニュースに驚いて書き殴ったが、東山動物園だから衝撃だったのである。これが他の動物園なら、また「素っ頓狂が始まった・・・」くらいで済んだかもしれない。なぜ、名古屋の東山が特別なのか、第二次世界大戦中のゾウの殺処分について、ぼんやりながら仄聞していて、殺処分というキーワードから、最も縁遠い動物園と思っていたからである。
 そこで、特に個人的な思い入れはないゾウの話。今年、井の頭公園で69年の生涯を閉じたゾウのはな子さんについてのニュースは、耳にされた方も多いかと思う。さらに、その一生が、人間に翻弄されて気の毒なものだったことも、かなり知られているだろう。はな子さんは、親のもとでゾウとしてのアイデンティティを育むべき幼少期に、日本に連れて来られ(1949年当時2歳半。子象が選ばれた理由は、その方が運搬上都合が良いからである)、情緒不安定な面があったはずの思春期に、酔客や飼育員を殺害する事件を起こしてしまった(1956年・1960年)。結果、「殺人ゾウ」と糾弾され(無茶苦茶人気者だったのだが、あっさり手のひら返しされた)、殺処分になりかねない状態となってしまった。それが実行されなかったのは、おそらくは、国同士の親善のために送られた存在なので、明らかな殺処分をためらったに過ぎず、鎖付きの拘禁状態として衰弱死に追い込むような状態に置かれた。当時の関係者は、諸事情を全く勘案せず、ゾウに人間のような刑罰を与える不見識を実行してしまったと言える。もし、この時に有徳な飼育員に巡り合わなければ、寿命の半分も生きずにそのまま死んでいたはずだ。
 このはな子さんが、第二次世界大戦後の東京に、なぜ無理をして連れてこられたかといえば、それ以前に動物園で飼育されていたゾウを、「戦時猛獣処分」として殺処分してしまっていたからである。上野動物園で飼育されていた3頭のゾウが、故意に餓死へと追い込まれたのは、1943年のことであった。しかし、この処分は絶対的な国の命令によるものではなく、困難な中をゾウの飼育が続け、戦後まで生き残らせた動物園もあった。それこそが、名古屋の東山動物園である(東山動物園のページ)。
 殺処分から動物を守った歴史があり、それを背負うべき東山動物園の園長が、平時の感染症の疑い程度のことで、殺処分を口にするのを不思議ではなかろうか。マスコミに問い詰められて思わず口が滑ったまでのことで、実行する気など欠片もないと信じている。





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Last updated  2016年12月13日 22時01分33秒
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