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雀坊の納戸~文鳥動向の備忘録~

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2020年05月19日
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今年の9月から、入学時期を変えるべき理由の第一は、来年の1、2月の受験シーズンに、新型コロナウィルスの大流行が懸念されているからである。一体、外出が制限される中、冬季で換気もままならぬ試験会場に受験生を集め、何時間も監禁するなど正気の沙汰ではあるまい。では、いかにして入試試験を実施できようか?入試を経ずに入学など有り得ず、大混乱となるのは必定である。
 ところが、9月入学を来年の9月からの話とシレっと置き換え、さらに学齢の起算方法を9~8月生まれに変更する必要があるかのように文部科学省は主張しているようだ(​NHKニュース​)。しかし、学齢など現状のまま4~3月生まれにしておけば良い。わざわざ変えて面倒なことのように見せて、制度改革を潰そうとするのは、愚かな官僚の常套手段であり、お腹いっぱいである。
 現状のままで、新型コロナウィルスが冬季に順当に再来すれば、受験生たちも学校関係者も悲惨なことになるが、文部科学省の役人などは正月返上の生き地獄になってしまうだろうと、傍は心配している。しかし、当人たちには危機感はないようだ。まったく、いつもながら、度し難い。

 一方で、桜のシーズンと卒業入学のシーズンが(日本のかなりの地域で)重なることから、日本人の情緒的側面からそれを変えることを避けるべきだとする意見も多く聞かれる。例えば九州大学の施教授は、「「国民の絆」を壊す9月入学論」とのご卓説を産経新聞に寄せられている(​記事​)。
 しかし、先生のお考えは、平時の変革に対する識見であり、詮ずる処(平時に変革は通常不必要なので)、現状維持の結論しか生まないものと思う。もちろん、変える必要のないことは変えなくて良いと思うが、本来の9月入学論は、緊急事態に対する予防的緩和策であり、平時の保守思考では済まない。
​ 九大の先生は、国民の結束には「記憶や体験の共有」が必要とされ、「現代日本では、「桜と卒業式や入学式」という結びつきは、世代を超え国民を結び付ける大切な記憶の絆、イメージの絆の一つである」とされている。しかし、この別離の卒業と新交の入学が、なぜか桜で一緒に経験的にイメージされてしまうのは、日本全体の事実ではない。かの1本の桜から生じた、いわばクローン植物である染井吉野(ソメイヨシノ)の開花は、暖かいところから北上して桜前線などと呼ばれるのは周知の事実で、山間や東北地方以北では、入学シーズンから一か月ほど経ってようやく開花する。つまり、入学式に咲く桜を見ることがなかった人たちは、「世代を超え国民を結び付ける大切な記憶の絆」を持たないことになってしまう。
 確かに、日本人の情緒は、桜に対して華やかなイメージと儚いイメージという相反するイメージを抱く。満開に咲き誇る桜、散っていく桜吹雪、盛衰、これは卒業入学など無くても、桜を愛でるのが、九大の先生の言うところの「国民の絆」以上に本質的な「民族の絆」だからである。
 日本人の文化的な美意識は桜と結びついている。それは、平安・鎌倉時代の西行法師が「願わくば、花の下にて春死なむ、その如月の望月の頃」と詠み、江戸町奉行の遠山金四郎が桜の紋々をしていたかは知らないが、江戸時代の庶民は、桜が咲けば東京なら上野、京都なら愛宕山、といった具合に大勢で繰り出して花見をしてはどんちゃん騒ぎする、そういった長い民族的経験によって形成されたものに他ならない。したがって、卒業式や入学式が一部の地域の一部の日本人の記憶に結びつくのは、実は副次的な些末事に過ぎず、我が民族の強固な桜情緒は、入学式が9月になろうが明後日になろうが関係なく受け継がれるべきものと言える。卒業式がなくとも入学式はなくとも桜は咲くのであり、それが地域によって時期が違っても、桜を見て華やかさを愛で、散りゆくはかなさを思う情緒こそ、文化的な民族的絆であり、「現代日本では、「桜と卒業式や入学式」という結びつきは、世代を超え国民を結び付ける大切な記憶の絆、イメージの絆の一つである」などという表層的に理解は、その深層にある日本人の桜イメージを過小評価したものと言わねばなるまい。
 それにしても、来年の1、2月が心配だ。文部科学省の役人が過労死しても、それは自業自得の側面もあるが(上司が悪いのである。その上司をのさばらせた自分たちにも責任はある)、奇跡的に新型コロナウィルスが弱毒化して、普通の風邪と変わらなくなれば良いが・・・。
​​ (南半球で数多の人の犠牲の上に変異する可能性はある。人間から見て良い方向の変異も悪い方向の変異もあり得るが、ウィルスが増殖するには弱毒化した方が有利なはずなので、その方向性で進化するかもしれない)​​
 しかし、この体たらくでは、このままずるずるべったんと進んでパニック状態になるのを覚悟しておいた方が良いかもしれない。・・・その際は、馬鹿な大人が右往左往しながらも救済策を考えるので、受験生の皆様には「なるようになるケセラセラ~」と鷹揚に受け止めていただきたいと、心より願っている。





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Last updated  2020年05月19日 22時56分29秒
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